2008年12月 4日 (木)

少年ナイフ 「Super Group」 2008年

少年ナイフの新譜「SuperGroup」が発売され、購入してから約一カ月経つけれど、未だに毎日聴いている。傑作とか感動とか考える暇もなくとにかく時間があれば聴いている。気持ちいいとしかいいようがない。「原点回帰」をテーマにしたというこのアルバム、3ピースでギター、ドラム、ベース以外の楽器なし、全編英語の歌詞というフォーマットで貫かれている。「原点回帰」というのは、もう一度3人編成のバンドにもどり(このアルバムからベースのりつこさんが加入)、少年ナイフの音楽的原点である洋楽の要素を持ったポップでロックをシンセサイザー等の楽器なしで演奏するというもの。

音楽的に一番影響をうけたというラモーンズやバズコックスのような音楽を「原点」とするわけでなく、あくまでも編成的なものとかバンドが3人に立ちかえったことを「原点回帰」としているようである。事実バンド結成当初には見られなかったロック黄金時代の70年代テイストが幾つかの楽曲ではかなり大幅に持ち込まれている。私はもう少年ナイフの大ファンなので、この作品を何度も聴いてしまうことがこの作品の素晴らしさなのか、少年ナイフならば何でもよい状態になっているのか自分でも区別できないのだけれど、ファンでない方にもこのあまりにも「気持ちがいい」ロックを多くの人に聴いてもらいたいと思っている。

今回のアルバムは基本70年代ハードロックテイストをベースにポップであったりイギリスカントリー風であったり、ウイングスの「Jet」のカバーありとバラエティに富んでいる。でもサウンドのイメージはかなりハードなロックに統一され、ポップでカラフルだった前作とはうって変わってアグレッシブな印象だ。誰が聴いても「ロックだなあ」と印象をもつそういうアルバムである。それでも少年ナイフの「ロック」は特別である。フォーマットは普通のロックだし、新しい方向性なんてものがあるわけではない。なのに少年ナイフがロックを演奏するとあたかも昨日ロックが生まれたかのように生き生きと新鮮に蘇る。ロックが新しかった時代なんてとっくに終わっているし、時代の先端表現でもない。「ロックは死んだ」なんていうフレーズももはや響かないくらいカウンターカルチャーとしての力も失っているし、3コードのフォーマットもそれを奏でるだけでは興奮できなくなってきている時代だ。でも少年ナイフの「Super Group」を聴いていると、ロックというフォーマットも演奏者次第で60年代や70年代の輝きをいつでも取り戻せるのだなと痛感した。

「Super Group」は何故この時代にロックに輝きを与えることができるのだろうか。たぶん1.メロディー 2.音色(歌声)3.アンサンブルにあるのだと思う。音楽の3要素がメロディー、リズム、ハーモニーとなるとしたらロックは何と言ってもリズムが中心になる音楽だと思う。でも少年ナイフの親しみやすさ、いつまでも続く感動、何度もリピートしたいと思わせる要素の筆頭はメロディーかもしれない。この新作でも全曲一回聴けば2回目からは一緒に歌えるというくらいシンプルで奥行きの深いメロディーが展開される。特に1曲目のタイトル曲のメロディーラインは凄い。今時これだけロック黄金時代に負けない輝かしく普遍的なメロディーを書けるソングライターは世界でも多くないのではないか。好き嫌いは別として、オアシスのノエルと匹敵すると言っても過言ではないと思う。

このアルバムは各楽器の音色、歌声の感触が素晴らしい。これは録音と表裏一体だから、アルバムのエンジニアリング、プロデュースとも大きくかかわるけれど、とにかく音が素晴らしい。ギターは高域をキラキラまき散らしながらも、ザクザクとした肌触りと奥行き感をもった厚みのあるサウンドを終始かき鳴らし、ベースはその低音に制限がないかのように下の下まで良く伸びる。ドラムはバスドラの一撃がスピーカーを響かせ、フレーズにダイナミクスと切れを与えている。歌もどこまでも軽やかで美しい。この何とも素晴らしい音色をデジタル時代、シンセサイザー時代に育った人たちもぜひ全身で感じて欲しい。

3人になって少年ナイフのアンサンブルは間違いなくネクストレベルへ移行したように思える。単調かつシンプルというわけでもなく(多くのパンクバンドのように)、3人が卓越した技術をぶつけあう(ポリスみたいに)わけでもなく、その中間。お互いが自由にテクニックを出して演奏しても、それが自己主張しあうのでなく、呼吸しあう柔軟なアンサンブル。だから音が固まりになって飛び出してくるわけでもなく、緊密すぎる構築感でもなく、暖かで気持ちよくて幸せな演奏。だからこそ何度もリピートしたくなる秘密がここにある。

またアルバムとして見ると構成も素晴らしい。ポップな「SuperGroup」で始まり、その後気持ちの良いハードロックが続き「TimeWarp」から一転、気持ちを落ち着けながら徐々に高揚していくような展開になり最後にまたもやポップな「Jet」で解放されるとやっぱり1曲目にもどりたくなる。I-Pod時代、アルバムを構成する要素で曲順を優れて構成することで感動を引き出すなんてことを考えるアーティストも絶滅しかかっているけれど、このあたりさすがである。またジャケットも実に丁寧な紙ジャケットで、原色を中心とした発色のノリもとても美しく手にとって聴くにふさわしいクオリティ。素晴らしい演奏、最高の録音、見事なパッケージング、「Super Group」こそ大人が聴く必聴のロックだ。

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2008年10月31日 (金)

安室奈美恵 BEST FICTION tour 2008-2009 10月25日、26日 幕張メッセイベントホール

始めに、注意点です。文章の内容に「ツアー内容に関するネタバレ」があります。今後のツアーに参加される方、発売されるであろうDVDを楽しみにしている方は、読まないでください。万が一読まれて気分を害されても責任はとれませんので、ご注意くださいませ。幕張のライブに参加された方が楽しむのを目的としています。

アムロ久しぶりのNo.1アルバム「Best Fiction」を冠したツアーが、今月25日幕張メッセでスタートし、25日、26日の2日間見に行ってきました。アムロのライブは2001年のツアーから見ているのだけど、今回のライブは個人的にはまさに過去最高の内容といいたい感動的なものだった。「旬」というのがこれほど似合う人もいないし、No.1になるのはこういうことかという余裕とスケールの大きさがあったように感じた。

ライブ当日、いつもの通り会場は超満員。当日チケットを求める人の姿も見える。今回のベスト盤のヒットを受けて「アムロ復活」という記事がそれこそあちらこちらで目について、それはとてもうれしかったけど、10回以上足を運んだライブでは、低迷どころか昔から変わらずチケットは入手困難で、いつも熱狂的なファンに支えられてきたアーティストだ。会場について観客の層をチェックするのだけれど、このツアーでは層がとても広がったようだ。男子率もかなり増えたし、若い人から50位の人まで、支持する層が確実に増えているような気がした。

入場口の少し開けたスペースに、等身大(たぶん)のヴィダルサスーンのアムロ看板が立っており、顔がくりぬかれ、そこに自分顔を入れて記念写真がとれるようにしている記念造作が5体ほど置いてあり、皆写真を撮るために行列してる。後ろにいた関西系のファンの方が「やだ、あそこに自分の顔入れる勇気ない。顔小さすぎ。まじ、人間とは思えない。宇宙人ちゃう。」といっていたのが、とても面白かった。そこにいた皆の代表的な意見でしょう。なんでしょうね、あの顔の小ささは。

さて、今回のツアー、素晴らしい内容で未だに感動を引きずっているけど、その要因を3つほどあげてみたい。1つは、初めてライブに持ち込まれた「Fiction」というコンセプト、2つ目は、カッコいいアムロプラス、モード系のテイストを持ち込んだこと、3つ目はセンターステージの設置。それぞれ思い出してみたい。

まずはライブ全体が約2時間20分くらい通してのコンセプトとなっていること。MCがなく、曲が終わることに照明が暗くなり、練りこまれたCG(Do me Moreのビデオの少女)がステージの進行を示唆し、そしてアンコールでさえそれがあらかじめ組み込まれた「フィクション」としてのコンセプトライブになっているのが凄い。「フィクション」だからアムロも様々な自分を自在に作り上げていく。アムロのライブの魅力は今まで何と言っても「ノンフィクション」=「つくりものでない本物」が魅力だったのだと思う。アスリートのごとく美しさと力強さを兼ね備えたダンス、震えるような魂を感じさせる歌、存在感をむき出しに迫ってくるから、私たちもその魅力を全身で受け止め、感動していた。でも今回はちょっと違う。「フィクション」に合わないからなのだろう、小室時代の曲は一曲も歌わず、内面をストレートに打ち出すのではなく、カッコいいアムロ、かわいいアムロ、ファッショナブルなアムロ、様々に演じてこのベストアルバムにつけられたタイトル「BestFiction」という意味をより分かりやすく演出して見せた。まずこのことが今までと違ったアムロを見せたということでとても感銘を受けた。

そして2番目はモード系のテイストの導入だろう。当然これはヴィダルサスーンの流れを継いだもの。今までのアムロも十分おしゃれでかわいかった。でもやっぱりアムロといえば「カッコいい」という存在感が強かったのではないだろうか?ところが今回のツアーでは最高の形で「オシャレなアムロ」を見せつけることに成功した(オシャレといっても服装がということだけではないですよ。演出も、音楽も、歌唱も含めてです)。ヴィダルの名曲「NewLook」が登場した時の会場中に響き渡る悲鳴にも似た「かわいいいい!」というため息。その後に登場した「Hello!」の携帯電話のパフォーマンスも含め、この瞬間こそライブ前半のハイライトだったのは間違いない。私もあれにはびっくりした。演奏もあの軽快なイントロを見事にリードし、ダンサー達とステージを歩くアムロはファッションショーかモデルショーかのようだった。ダンサー達はみな筋骨逞しいはずなのに。でもそれがあのカッコいい曲と結びついてアムロの見事な歌唱があるから、単にファッショナブルでなくて、音楽のパフォーマンスとしてとても新鮮だし、新しいことに挑戦しているから躍動感もある。若い女性だけがターゲットの表現では全然なく、新しい表現として提示されたオシャレ感覚だ。もうこの前半だけでノックアウトされてしまった。

最後にライブ全体を通じて最も効果的な演出だったのがセンターステージの設定だと思う。センターステージは広いアリーナにおいてすこしでもファンに近く親近感を沸かせ、見やすいようにするという位置づけだろう。でもアムロの場合それ以上の意味があったのでは。アムロがセンターステージに近づくと熱狂的なファンたちの歓声と拍手が快いが、センターステージに来たことにより、派手なセットとは離れて、純粋に少数のダンサー達とアムロのより肉体的なパフォーマンスを肌で感じることができる。ファッションも顔の小ささもあの疲れを知らない超人的なダンス、歌唱もなにか人間はなれした凄さがあるけど、このセンターステージで間近に見るアムロはやっぱり生身の素晴らしさを見せてくれる。「フィクション」で設定されたステージが一瞬「ノンフィクション」になったように、お金のかかったセットや派手な照明を後ろの方に置いてきたとしても「アムロはアムロ」と有無を言わせないパフォーマンスを見せてくれた。

最後にバンドの演奏、音響も最高にいつも通り素晴らしかった。スタッフのかける意気込みも十分伝わってくるし、これこそ現在日本で一番人気のあるアーティストの一人であるというのが誰でも理解できる。昔も今もやっぱり安室奈美恵は期待を裏切らない素晴らしいアーティストだという思いを新たにした。最高のステージをありがとう!

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2008年2月 3日 (日)

「アキュフェーズ SACDプレーヤー ( Accuphase SACD Player ) DP-77 」

2006年11月にそれまで使っていたSACDプレーヤーをアキュフェーズDP-77に入れ替えた。それからほぼ1年と2カ月、予想以上に至福のときを過ごしたので、久しぶりにオーディオの話題をしてみたい。

このブログ、オーディオと少年ナイフというバンドの応援サイトにしようと思っていたのだけれど、それ以外にもSACDレビューやたくさんのCDレビューが加わって、いろんな作品の感想を結果的に載せることになった。このブログをホスティングしていただいている「ココログ」は随分親切で、様々な分析結果を用意してくれているのだけれど、それによると私のブログは圧倒的にオーディオコンテンツの人気があるようなのです。たった4回くらいしか書いていないのに、その4回が全体の7割くらいの閲覧を占めるようですね。それぐらいオーディオファンというのは情報に飢えているし、ネットでもこまめに情報を得ようとしているわけですね。私も実は全く同じなので、今日は久しぶりにオーディオの話題をしようと思います(ただし残念ながら、何故かオーディオの話題になるとコメント欄が荒れる傾向にあるので、荒れるようなコメントは今回は遠慮なく削除させてもらいますのでよろしくお願いします)。

さて、まずアキュフェーズDP-77を購入する動機について。前に使用していたマランツSA-14も素晴らしいパフォーマンスだったので、特に急いで何かに変える必要はなかったと思う。しかしながら、2004年に購入した、プリメインアンプ、アキュフェーズE-530があまりにもすばらしかったため、アキュフェーズという会社に興味がますます湧いてきたという次第。名器というのは使えば使うほど愛着が湧くというか、馴染むというか、工業製品は通常は購入したときがピークでそれ以降劣化していくものであるが、E-530は使えば使うほど輝いてくる。こんな製品を作ったアキュフェーズというのはどんな会社なんだろう。どんなフィロソフィーをもって、どんな製品を他にも作っているのだろうと考えていたら、この会社のすべてを知りたい衝動にかられてきてしまった。そう思ったら最後、「そうだSACDプレーヤーもアキュフェーズにして、アキュフェーズの世界を知り尽くしてみよう」という気持ちを抑えられなくなってしまった。これは音がアキュフェーズで完結するというメリットもあったけど、デザイン的に統一できて見た目も美しいというメリットもあり、この考えにとりつかれてしまったのである。

でも憧れを実現するためにはかなり高価な投資が必要だ。当時すでに新作のDP-78がでていたけど、値段の問題、デザイン、それからE-530が登場したときはちょうどDP-77だったこともあり、DP-77をがんばって購入した。わざわざここにその値段を書きはしないけれど、一般的な見方からしたらSACD/CDプレーヤーにしては相当な高額製品。デジタル時代にそんな高額なプレーヤーは必要あるの?というのが私自身疑問でもあった。オーディオ雑誌でも「高額製品と普及製品の差はわずか。でもその少しの差に投資するのがオーディオマニア」なんて書いてある記事をよく見かける。私は別にオーディオマニアではないので、やっぱり支払った分だけの対価が欲しいというのは正直思ってしまう。でもE-530であれだけ凄い音楽的表現を実現したアキュフェーズならきっと大丈夫だろうと、思い、念のため視聴もたくさんして納得の上、購入に至った。

自宅に届きおそるおそる音を出してみる、すると「え、何これ!!まるでアーティストがそこにいるみたい!」と感動の体験であった。なんというのだろう、とにかくサウンドステージが広くて、楽器の実在感がハンパじゃない。すべての楽器の材質あるいは楽器の鳴り方の温度感が手でつかめそうなほどのリアリティ。ボーカルなどはコンサートホール、ライブハウスで聴いたアーティストの声そのもの。コーラスの暖かさ、切れ味は本当にそこにアーティストがいるがごとく生々しい。本当に別次元の体験。ここまでCDをかけていたけど、前のプレーヤーのSACDよりずっと音がいい。

ではこのプレーヤーでSACDをかけるとどうなるのか。ハイ、あたりまえですが、ものすごくいいです。SACDここにありきという感じで、そのフォーマットの優位性をこれでもかというくらい表現してくれる。CDとSACDの差が分からないなんて記事を良く見かけるけど、それはプレーヤーのせいなんだなと思ってしまう(あるいは部屋の環境)。SACDを聴くのがますます楽しみになってしまった。アキュフェーズの評価で時々「蒸留水」みたいな評価を見かける。つまりとても正確で精密であるけど、色気がないということ。これは人によって感じ方はそれぞれなので、これが物足りないという人がいても全然おかしくはない。

でも私には無機質や蒸留水どころか、手の込んだ暖かいスープのようなものにしか思えない。たしかに額縁をとても大きくとったようなワイドレンジの音空間なのだけれど、そこに描く音は暖かくて、ハーモニーが綺麗で、アンサンブルの軽快さをきっちり表現してくれる。そうかと思ったらエレキギターなどのノイズやダイレクト感もあますことなく打ち出してくる。とにかく楽器や声の温度感を見事までに描き分けてくる。日本製のプレーヤーは正確だけど音楽性にかけるなんて、どこの雑誌が広めたのだろう?少なくともこのDP-77、美しいも、グルーブも、ノイジーも、呼吸の合ったアンサンブルもその音楽性のままの音楽を展開してくれる。

ただし、根本的なキャラクターが明るくて新鮮で、彫りが深くて、静まり返ったような微小レベルでの粒立ちのよさがあるので、つまらない音楽をつまらないままに正確に表現するのではなく、必ずどこか気持ちよく表現してくれる、懐の大きさも持ち合わせている。

アキュフェーズDP-77は音がいいだけではない。この操作性の快適なこと!CDの出し入れの度に高級製品を持った喜びを与えてくれる。あのスーッっと出し入れされるトレイのスムースさ、各種つまみの感触のよさ、音量レベルを肌理の細かく変えられる便利さ。そしてCDやSACDのテキスト情報もきちんと見ることができる。これこそ高級製品がもつ品の良さ、つくりの良さだと思う。CDなんて所詮デジタル情報で、何で聴いても一緒ではないかと思っている人が多い。アキュフェーズDP-77は、音楽の美しさ、滑らかさ、カッコよさ、はデジタルとかアナログとかというフォーマットの問題ではなくて、それを作る人の魂の問題だと教えてくれる。

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2008年2月 2日 (土)

「イン・レインボウズ / レディオヘッド in Rainbows / Radiohead」2007年

先行ダウンロードリリースが話題になったレディオヘッドの新作「イン・レインボウズ」昨年末にCDで入手してから一ヶ月、毎日のように聴いている。2007年最高のロックアルバム、そしてレディオヘッドの最高傑作というだけでなく、個人的にはロックという分野では10年に1枚というくらい好きな作品となった。

どこがそんなにいいの?と聞かれるとこれが難しい。メロディーがずば抜けてポップとか、これまでに聴いたこともない革新性とかを備えているわけではないと思う。孤高のロックバンドなどど雑誌で形容されるレディオヘッドはこれまで「革新性」(ロックフィールドにおける)が身上だった。現代のプログレッシブロックというに相応しい、複雑な構成を持った楽曲、それに伴うエッジが立っていてテクニカルな演奏、最先端のテクノロジーをふんだんに使ったサウンドプロダクション。これだけなら他のロックバンドでもありそうではあるが、レディオヘッドには他にも2つの大きな要素があった。

1つは「ベンズ」「OKコンピューター」といったアルバムで見られた「ロマンティズム」というべきドラマティックなメロディー。それと「KID A」以降で展開した「反ロック」とも言うべき、惰性的なロックのあり方に対する反動を表明するサウンドプロダクション。前者はカラオケでも歌えるほど美しいメロディーと透明感が共感を呼び、未だにレディオヘッドの最高傑作は「ベンズ」なんていう人も全体の半分くらいいる。そして後者は「反ロック」の姿勢がエレクトロニカやジャズなどのサウンドを包含させ、無機質なまでのクールなサウンドが逆の意味で「これこそロック」と評判を呼ぶものとなった。

ところが新作の「イン・レインボウズ」この2つの要素がごっそり抜け落ちていて拍子抜けしてしまうほど、あっさりとして美しく聴きやすい作品に仕上がっている。ではまるっきり新しいレディオヘッドがそこにいるのかというと、フレーズや演奏、楽曲はこれまで発表してきた表現の集大成といった感じで、「革新的」というわけでもない。だからこの新作、私のように大絶賛する人が相当数いるものの、アマゾンなどの評を読むと「物足りない」「もうレディオヘッドは孤高のバンドではなくなった」との声も多い。私は個人的には「10年に1枚の作品」などと思っているからどこが素晴らしいのか伝えたいのだけれど、これが凄く難しくてこのブログに書くのに1ヶ月もかかってしまいました。

この作品の楽曲はとても不思議な魅力を持っている。どれも明確でカラオケで歌えるようなはっきりしたメロディーやフック、サビはもっていないけれど、全体的にはとても美しいとしか言いようのないメロディー、演奏になっている。「KID A」あたりから持っていた神経的なエッジの立ち方はまったくなくなっていて、これまでのレディオヘッドの作品が「溶解」して、トロトロになって流れ出し、広大な音空間に徹底的に磨きこんで再配置したような音の「粒立ち」がそこにはある。そしてその音の粒立ちをバックにして、これだけは絶対に明確に言えるのだけれどトムヨークが過去最高のボーカルを聴かせてくれる。このトムのボーカルの飛躍ぶり、上達ぶりはこのアルバムのハイライトだと思う。カラオケで歌えるようなメロディーではなくとも、まるで楽器の一つのように、自由自在に音空間を駆け回り、人の心に深く浸透する声と歌はそれだけでも感動する。

演奏もエッジが立つのではなく、柔軟かつ緻密。アコースティックな要素とエレクトロニックな要素が対立するのではなく、境界を見つけるのが難しいほど溶け合っている。つまりはバンドのメンバーが自然にロックして、グルーブして、その演奏と同等のレベルでエレクトロニクスを自然に取り入れることがこれまでの経験からできるようになったのだろう。「エレクトロニカ」とか「ジャズ」とか「オーケストレーション」とかいう必要はもはやなく、すべてが自然に溶け合って美しさを形作っている。

トムヨークのボーカル、柔軟でグルーブがあり、巧みなエレクトロニクスを取り入れたバンドサウンドに加え、私がもっとも気に入っているのが音である。サウンドプロダクションとか、サウンドスケープとか、いろんな言い方はあると思うが、端的にいって、「音」が圧倒的に素晴らしい。この「音」は2つの要素に分類できて、1つは録音、ミックス、マスタリングといったサウンドエンジニアリングに関わること。2つ目は「音色」、つまりどういう音で表現したいかという音楽表現における音の色彩感覚のこと。「イン・レインボウズ」はどちらも最上級の仕上がりである。そしてここに付け加えなければいけないことがある。この作品におけるレディオヘッドとプロデューサーのナイジェルゴドリッチの役割は5:5といっていい。それくらいこの音に関するナイジェルゴドリッチの果たした仕事はずば抜けている。

誰が聞いても「サウンドエンジニアリング」に関しての凄さは分かっていただけると思う。この作品における「エコー」「リヴァーヴ」の役割はとても大きい。ライブと違ってレコード(録音作品)だからこそ実現できる、深いエコーのマジックが全体を彩っている。また楽器間のバランス、ストリングスサウンドの生々しさなど他のロックバンドとは次元が違っていることがそれなりの装置でCDをかければはっきり分かる。でも私はそんなエンジニアリング的要素よりも「音色」という音の感覚にかんするレディオヘッドの感性の方により感動している。

具体的にはこのコリンのベースサウンド。「NUDE」という曲や「ALL I NEED」といった曲の低音サウンドにちょっとびっくりしてしまった。広大で深く柔らかいのに何故かピカピカ磨かれたような聴いたことないというくらい、不思議なサウンド。その上に実にナチュラルで弦のこすれる音まで見えるようなギターの音色や鉄琴の透明感ある音色がかぶさってきて、なんとも「コク」のあるサウンド。これに関してだけは「イン・レインボウズ」のそして「レディオヘッド」だけがもつ独特の、そして現代のロックバンドが到達できない「美」なのだと思う。

あちこちの雑誌のインタビューで「音楽の持つ価値について皆に考えて欲しい」といっていたレディオヘッド。「イン・レインボウズ」を聴くと音楽の持つ価値が本当に無限だと改めて思わせてくれる。最近レッドゼッペリンが再結成して話題になってるけれども、あのような凄いバンドをリアルタイムで体験し、自分のものにできた世代がとてもうらやましいと思う。でも「イン・レインボウズ」をリアルタイムに体験し、自分たちの音楽だといえることは負けずに素晴らしいと思う。

最後に、話題のダウンロードもいいと思いますが、これだけ美しい「音」の芸術作品、CDやレコードでじっくり聴く機会を持つことをお薦めします。

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2007年12月30日 (日)

「Space X’mas Tour 2007 / 少年ナイフ」渋谷クラブクアトロ 2007年12月20日

少年ナイフ恒例のスペースクリスマスツアーを渋谷、心斎橋と見に行きました。それはもう素晴らしいもので、ライブパフォーマンスだけをとれば過去最高とも言える出来で、ファンを魅了してくれた。この日の1ヶ月前から少年ナイフはアメリカツアーに行っており、異国の地での長期ロードで鍛えられたことも影響があるのだろうか、引き締まって艶やかな音色、軽快かつグルヴィーなビートで多くのリピーターファン、初めての体験者を圧倒していた。

この最高のパフォーマンスを目の当たりにして、少年ナイフマジックとは一体何だろうとつくづく考えさせられてしまった。何がこれだけの熱狂を生むのだろう?どうして30回も40回も見に来るリピーターがこんなにたくさんいるのだろうと(自分も含めてですが)。少年ナイフのロックはある意味古典的と言えると思う。非常にシンプルな3コードのロック。シンプルで美しいものは一番強いと言えるかもしれない。でも反面、そういったシンプルなスタイルは時代と乖離を招いたり、飽きられたりすることと表裏一体である。多くの変遷をへたロックの歴史を見ている人ほど、「シンプルが一番!」とは言いにくいのではないでしょうか?現在最も人気のあるロックバンド「レッチリ」や「レディオヘッド」のようなバンドがあれだけ複雑なテクニックと曲構成をもつのも、シンプルにやったからといって昔と違って簡単に感動が伝わるものではないことを表していると思う。

これは今回のスペースクリスマスにゲストで出演した「銀杏Boyz」のパフォーマンスを見るとよりはっきりする。「銀杏」も見かけはとてもシンプルなロック。しかしパフォーマンスの破格さ、個人の内面をえぐるような歌詞、メロディーを歌うだけでは満足できないといった魂を直接つかむようなボーカルはもはや「シンプルな形式としてのロック」では2007年の現代に生きる、破裂するような感情を押さえ込むことはできないといっているかのようだった。

対して、少年ナイフは美しいメロディーにそのメロディーを生かすような歌とコーラス、きっちりとした3コードの形式を守った楽曲、暴れだしたり破綻したりすることのないバンドアンサンブルという本当にシンプルで、ロックの形式に則ったスタイル。しかし少年ナイフはこの3コードスタイルにマジックをかけ、曲に込められた多彩な感情、音の色彩、躍動する力を見事なまでに解き放ってゆく。つまり古典的なロックスタイルが古めかしいわけではないのです。それはプレスリーやチャックベリーの時、もちろんその後のストーンズ、ラモーンズの時代にも確実に息づいていたロックが見つけた快楽&幸福のスタイルであったのだ。ただそれが現代では機能しづらくなっているため、特別なマジックをかけてあげる必要がある。それが少年ナイフの楽曲およびライブパフォーマンスなんだと思う。

例えばこの日演奏された「みなみのしま」。現代に生きる疑問、怒りなどは銀杏の峯田さんも、ナイフのなおこさんもその量としては代わらないでしょう。峯田さんがそれを破格のパフォーマンスで表現したとしたら、少年ナイフの「みなみのしま」はポップとしかいいようのないパフォーマンス。でも少年ナイフはこの「みなみのしま」に込められているメッセージをポップな形式に則りながらも、実に多彩なグルーブとアンサンブルで表現した。なおこさんはこの曲のメロティーの美しさを引き出すために、そのメッセージとは裏腹の透き通るような美しいボーカルで披露し、ギターは高音が引き立ち、天井までその高音が伸びているのではないかというくらいの繊細だけれどコクのある音色、そしてベースのともちゃん(面倒だから愛称で呼びます。以下えっちゃんも同じ)もそのボーカルを完璧なコーラスで支える。

そしてドラムのえっちゃんは、曲想に応じて細かくテンポと音程を叩き分ける。えっちゃんは曲の調が代わったりする場面で実に効果的にフロアタム(ちょっと低音の出る胴の長い太鼓)を使用し、低い音をうまくまぜることで、曲に奥行きを出すのが最高に上手いので、みなみのしまが沈んでいくその歌の気分がとてもよく伝わる。そして曲の最高のクライマックスは歌がすべて終って、ギターが永遠とリフレインを繰り返す最終章。ここで3人の集中力は最高度に高まって、歌に寄り添っていたアンサンブルが一体となる。そうするとどうだろう?物凄いグルーブが生まれて、本当に引き込まれそうになるくらい曲が躍動していく。こんな瞬間に立ち会うと音楽が持つ感動が特別なものだと改めて教えられる。

こんな少年ナイフマジックはもちろん他の曲にもすべて発揮され、観客はもう輝けるばかりの笑顔。「Barnacle」や「クッキーデイ」ではその眩しいグルーブに乗ってみんながそれぞれのいいかげんなダンス、「Flu」や「ジャイアントキティ」ではヘヴィメタばりにヘッドバンキングでスカッとしたかと思うと、「バナナチップス」や「Ramones Forever」ではまさにシンプルビューティーの巧みの技に、幸せいっぱい気分に。ロックは形式とか新しさやメッセージ性なんかで図っては感動なんか得ることはできない。少年ナイフの楽曲とこの日のライブパフォーマンスは、心のそこからの感動とともに、少年ナイフのかけがえのなさを教えてくれたような気がした。

アンコールでの「サティスファクション」、そこでは銀杏の峯田さんが子供のように楽しそうにはしゃいでいるのが印象的だった。切羽詰ってきりぎりのコミュニケーションスタイルを見せていた彼が、ナイフサウンドにまどろんで、ナイフファンと同じように無邪気になっていた。その光景を見て今日は間違いなく最高のライブだったと確信した。

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2007年10月28日 (日)

「ブルース・スプリングスティーン / マジック Bruce Springsteen / Magic」2007年

予てから前評判の高かったブルーススプリングスティーン(以下面倒だからブルースにします)の新作「マジック」が10月24日、ようやくここ日本でも発売された。アメリカの「ローリングストーン」誌がアルバムレビューで最高点5つ星を献上し、Eストリートバンドとも5年ぶりの再結成ということもあって、全世界10カ国ですでにチャートの1位を獲得したという。

そんな前評判に期待を膨らませ、早速購入しすでに5日間、毎日何度も聴いている。ここ数年の作品の質の高さを維持しながらも、同時にポップで明るいブルース節全開という内容に完全にやられてしまい、その素晴らしさをどう伝えていいのか分からないままこの文章を書いている。サウンド、歌詞、メロディー、装丁すべてにレベルが高く、非常にスケールが大きく深い内容に久しぶりに音楽が持つ内在的な力そのものについて語りたくなってしまった。

さてその内容を語る前に、この作品に否定的な意見も紹介しておこう。どうもマスコミのニュースを見ると、「歴史的名盤」とか「世界中が躁状態」なんていう、賞賛一色なのでそれが本当に全世界のブルースファンの本音なのかどうか知りたくて、雑誌やネットをいくつか調べてみた。ブルースのよき理解者だったSNOOZER誌の編集長田中宗一郎氏は「マジック」をレビューで酷評している。いわく「かつてのEストリートバンドをなぞっているよう」「パールジャムのできそこない」「キラキラしてビックなサウンドのブレンダン・オブライエンのプロデュースが最悪」「シャッフルせず大味な8ビート」と全く評価しておらず、「これを聴くなら初期の5枚を聴くべき」としている。国内で見た雑誌ではこの田中さんの意見は少数派に思えるが、こと本場アメリカに目を向けると決して少数派ではないようだ。

アルバムレビューで5つ星をつけた(これはめったにないことなのです)ローリングストーン誌のWebサイトでは読者のレビューを載せているページがある。これをみると読者の平均点は星4つで、ここを細かく見ると、田中氏と同じような意見の人がそれなりにいるのである。「たしかに素晴らしい作品だけど5つ星ってほど?5つ星というのは(明日なき暴走)みたいな作品のことをいうのでは?」「ブレンダンのプロデュースがいけない。コンプレッションが強すぎ、ビックサウンド過ぎる」などの意見が結構見られる。これらの意見、的外れかというとそんなことはなく、かなりあたっているところがある。私自身も実はこのブレンダンオブライエンのオルタナロックみたいな音作りはパールジャムにははまっていたと思うが、ブルースとEストリートバンドにはやや違和感があるのをぬぐえない。そんな欠点を多く含んでいるのを承知しながらもやはり「マジック」は大傑作なのだと思っている。

アルバムのテーマは「崩壊してしまった世界から崩壊する前の愛する故郷へ、そこに少しずつ戻るための長い道程」というべきもの。はっきりとこのように定義できるものではないが、すべての曲にこのようなテーマが色濃く表現されている。全11曲プラス1曲。なにしろ捨て曲はひとつもなく、すべての曲がこのテーマに色を添えるためにそれぞれの役割を果たしている。アルバムははまず「レディオノーウェア」から始まる。この曲が「できそこないのパールジャム」と田中氏に酷評された曲だが、アメリカでは1stシングルとなっている。実際どっからどう聴いてもパールジャムにそっくり。私も最初聴いたときは驚いたし、ちょっとひいてしまった。「どうして天下のボスが、若手の真似なんかするの」と(ちなみに私はパールジャム大好きです。だから余計そう思った)。

でもこれは誤解で、歌詞を読み、2曲目を聴くとこの曲の意味が深く分かるようになる。この曲はつまりアルバムの序曲だと思うと分かりやすい。本編は2曲目から始まり、この「レディオノーウェア」は「これからマジックが始まりますよ。その前に皆聴いてくれこの叫びを」という感じなのではないだろうか。解説で三浦氏が指摘していることだが、この曲の冒頭が「故郷に帰る道を見つけようとしていた」で始まるのだがこれはもうアルバムのテーマを暗に提示している。そして「こちらレディオノーウェア、そっちに誰か生き残っているやつはいるかい」というメッセージは、昨今のレディオ局への批判ともとれるが、同時に「このアルバムを聴く準備のあるやつはいるかい」、そして「絶望の中でも故郷に帰ろうとしている奴はいるかい」といっているようにもとれる。つまりこれから始まるアルバムを象徴するナンバーなのだと思うのである。サウンドは明らかに意図的にグランジのささくれだったギターサウンドを選択し、ある意味での不安と絶望を表現してる。いきなりブルースのお祭り大会みたいなサウンドに持ち込むのではなく、きちんとした現状認識と絶望感をまず共有したところからスタートしようとしているのではないか。

そして2曲目の「ユールビーカミンダウン」が始まると、もうそこは大お祭り大会。総天然色のスプリングスティーン・ハイ(渋谷陽一さんの言葉。ハイとは麻薬を打ったときの状態用語だが、麻薬がなくともスプリングスティーンを聴くだけでハイになってしまうこと)にだれもが引きずり込まれてしまう。1曲目のモノクロ状態から2曲目の完全なブルースとEストリートバンドのアメリカンで楽しいサウンドの対比は実に素晴らしい。まさか80年代の「ボーインザUSA」なみのハイなサウンドをこの2007年にブルースが復活させてくれるとは思っても見なかったから。ただ歌詞を読んでもらえれば往年のボブディラン並みの辛辣で、誌的でありながら毒があるのが分かる。どうしてこの歌詞でこのポップなサウンドなんだろう。もうボス完全復活という感じでむやみに嬉しくなってしまう。

そして3曲目、ここでアルバム最初のハイライトが登場する。「ハングリーハート」「凍てついた十番街」の2007年版といっていい「リヴィングインザフューチャー」の登場だ。クラレンスのサックスが高らかになり、ブルースの歌はどこまでも生き生きとし、溌剌としている。歌がグルーヴしているとってもいいくらい。「ラララーラ」のフレーズは今後全世界のスタジアムで合唱されることだろう。ここではブレンダンのモダン志向のプロデュースもEストリートバンドと調和することに完全に成功している。この素晴らしい歌詞、全部書き出して紹介したいが、是非国内盤を買って聴いてみてください。「心配しないでダーリン。私たちは未来に生きている。このことはまだ何一つまだ起きていない」というメッセージは、絶望の中にも少しずつ世の中を回復していこうというブルースのぎりぎりの思いが見事に表現されている。これはアメリカ国民に向けられたメッセージかもしれないが、日本に住む私たちにも切迫したものとして受け取ることができる。

さてその後も素晴らしい曲が続き、2つ目の山が登場する。それが「ガールズインゼアサマークローズ」である。ストリングスを効果的に使ったポップなサウンドはなるほどビーチボーイズとEストリートバンドの幸福な出会いを思わせる。これほどまでにポップな楽曲をアルバムの流れを損なうことなく提供できる作曲能力の高さも素晴らしいが、やはり出てくる「崩壊」のイメージと夏服の女性の「癒し」のイメージを見事なまでに両立させ、人の脳裏の焼付け、夏の夜のような気分にさせてしまう描写力も素晴らしい。

そして最後のクライマックスが10曲目の「ロングウォークホーム」。途中で書いたアルバムのテーマをこの曲がすべて象徴している。崩壊してしまった世界と、故郷への静かな再生への道。ライナーノーツで湯川氏が書いているように、今回のアルバムどんなに明るくてもどこか泣けてしまう。ブルースの歌が、この世界と対峙し、孤立し、緊張し、でもなんとか皆とつながって少しでも良くしたいと思っている世界中の人々の心をどこまでも明るくし優しく語りかけ、冷たくなった心を溶かしてくれるからだろう。

昔のロック雑誌には時々「音楽は世界を変えられるか」なんて特集が組まれていた。今そんな企画成り立つのだろうか?まるっきりしらけてしまうのでは?でもこの「マジック」もう一回世界に対して「音楽は世界を変えるか、そしてあなたを変えるか?」と問うているようだ。すぐには無理でもすこしずつというのを付け加えながら。

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2007年8月13日 (月)

「fun! fun! fun! / 少年ナイフ Shonen Knife」  2007年

少年ナイフの最新作、なおこさん、えつこさんの2人組のバンドになってからの初めての作品、本当に素晴らしい傑作となった。最近いい音楽がない、心から打ち震えるような感動に出会えないという方にはぜひこの作品を聴いてほしいと思う。一人でも多くのロックファン、音楽ファンにこの作品に出会って欲しい。

リーダーのなおこさんがたった10日間で仕上げたという全10曲、タイトル通り、funfunfunという楽しさで一杯だ。ところで少年ナイフの届ける「FUN」というものはどんなものなのだろうか。実は私自身はあまり明るい音楽が得意ではなく、どちらかというとニルヴァーナ、ジョンレノン、レディオヘッド、ボブマーレイなど、暗い魂の叫びをダイレクトに躍動感を持って伝えてくれるアーティストやバンドが好きだからである。「fun!fun!fun!」はとても明るいし、楽しい音楽だ。それなのに前述のアーティスト以上に音楽がダイレクトに私の心に伝わってくる。だから少年ナイフのいう「FUN」っていったいなんだろうと思ってしまうのです。

少年ナイフの「FUN」はもちろん最高に楽しいのだけれど、とても多彩な響きや感情を伝えてくれる。カラフルで祝祭的で気持ちいいのだけれど、同時に「哀しさ」「美しさ」もあるし、ロック的な「反抗」ももちろんある。それを歌詞だけでなく、メロディー、サウンド、コーラス、和声に乗せてロックとしての響きで表現して届けてくれる。だから「青春パンク」のように明るい歌、希望の歌詞と前向きなメロディーにのせてどこまでもといった音楽とは、少年ナイフの「FUN」はまったく違う。もっと複雑で深くて、心の奥底まで響く魂を揺さぶる「幸福感」なのである。

1曲目「重力無重力」を聴けば、少年ナイフの提示する音楽観、がどういうものかたちどころに分かってしまう。力強いドラムのイントロに導かれて、非常に爽快なテンポで曲が進行し、奥行きの深い高域に特徴のあるギターが鳴り響く。この響きだけでも十分個性的であるが、途中から挿入してくる歌メロディーが始まるともう唖然とする。このふわっとした感じ、優しくて、深くて、どこまでも自分の心が押し広げられていくような開放感、まさに宇宙に放り出されて浮かんでいるような聴いたことのない感じ。このパンクのような疾走感にこのメロディー展開がありえるのだろうかというくらいの素晴らしさ。ポップやロックやパンクにカテゴライズすることができない、まさに独壇場の美しさ。朝日新聞社のAERAがこの「fun!fun!fun!」を評して「不思議なほどイメージは豊かにふくらみ、哲学的世界に誘い出されさえする」と載せていたが、このメロディーと歌詞の組み合わせはまさに哲学的世界だと思う。

この曲の歌詞はとても具体的な「坂を上った時の疲労感」から始まって、坂に「重力」を感じ、さらにもし「重力のない状態になったらどうする」との問いかけがあり、どんどん抽象的な展開をした結果、「重力に身を任せてみてもいいのでは」というとても優しいメッセージで締めくくられる。やたらにリアリティがあったかと思えばものすごい抽象的な世界だともいえる。サウンドもとても歪んでドライなギターサウンドなのに、どこかスイート。ドラムも引き締まってタイトで力強いのに何故か、ファンファーレのよう華やか。そうこの曲が示す少年ナイフの世界はひとつの美しいメロディーに対し、いつも複数の感情と響きが同居し、音楽の世界を一元的なものにしない、感動の層が非常に厚く心に迫ってくるもの。だからとても楽しいはずなのに何故かこの美しい歌声に身を任せていると涙が出てきてしまう(これは結構多くのアーティストが指摘していますが)。

まさにこの「fun!fun!fun!」はこうした少年ナイフの最高の特質が凝縮された傑作だとおもう(個人的には最高傑作だと思っています)。少年ナイフが楽しいながらも、複数の感情と響きを同居させるのに成功しているのには、まずなんといってもなおこさんのソングライティングの向上があげられるし、えっちゃんの鮮烈としか言いようがないドラムサウンドも大きな要因だ。さらに前作と大きく異なり全編に施されたサウンドプロデュースも素晴らしい。

なおこさんは今回は70年ロックのようなメロディーのしっかりした古典的なロックに影響を受けたのだという。70年ロックの影響を受けたからといって誰でもが美しいメロディーを書けるわけではないけど、なおこさんのメロディーメーカーとしての力は過去最大といえるほど発揮されたのではないだろうか。過去にも「ESP」「Like a Salmon」「ロケットにのって」など美しいメロディーを連発し、老若男女、外国人も含めてライブ会場を大カラオケ大会にしてしまうほどメロディーの素晴らしさはいうまでもなかったのだけれど、この作品はさらにシンプルにして、最上級だ。何しろどんな人でも一回聴けばほとんどの曲のサビを一緒に歌えるほどシンプルビューティなわかりやすさ。それが環境問題とからんだ「みなみのしま」、ふじつぼの一生をテーマにした「Barnacle」、ラモーンズよ永遠にの「RamonesForever」など素晴らしい歌詞に乗せて誰もが合唱できるそのソングライティングは、日本人のロックとして飛びぬけた作品だと思う。

さらに今回このメロディーに躍動感を与えているのがなんといってもドラムのえつこさん(えっちゃん)。なおこさん、あつこさんの二人組のときは、ベースのグルーブ感が少年ナイフサウンドを支えており、時にはベースがメロディーをとったりと、とても柔軟で横揺れのグルーブ感とアンサンブルを聴かせていた。今度のなおこさん、えっちゃんの二人組は、ベースのメロディーはもちろんなくなり、それに伴うグルーブ感も弱まりはしたが、その分、えっちゃんのドラムサウンドは力強く引き締めて、柔軟というより鮮烈なアタックと躍動感をもたらした。ドラムのサウンドが素晴らしいだけでなく、えっちゃんの場合はドラムによるアレンジ能力が卓越している。冒頭の「重力無重力」、ここではメロディーの変化に応じて細かくたたき分け、曲のニュアンスを変えていく様子がはっきりと聴き取れる。特に「重力に身を任せていこう」の後の「タカタカターン」という響きは最高のカタルシスをもたらせてくれる。えっちゃんがナイフの一員としてなおこさんと対等の音楽パートナーになった瞬間ではないかという気がするくらい、ドラムによるアレンジの躍動感は心に迫る(その他Flu、ポップコーン、おやすみなど、聴き所が多いのでぜひ皆さん自身での発見をしてください)。

最後に素晴らしいプロデュースについてもふれておきたい。久々に復活した随所に配置されたコーラスワークの美しさ。これぞナイフの魅力の大きな要素であったことを久しぶりに思い出した。先日の712DayPartyでも、久しぶりにライブでのコーラスワークに力を入れていて、少年ナイフのコーラスワークの楽しさ美しさを再認識した。やっぱりナイフはこういう多様な要素があったほうが絶対にいい。また各種のエフェクト効果も曲に適切なアクセントを見事に与えており、ここ最近こういった音処理を控えていた少年ナイフが幅を広げているようで面白い。プロデューサーにクレジットされている柴田さんの影響も大きいのだろう。特に効果をあげているのが「Birthday」。この曲はたぶん娘さんの誕生日に書かれたものなのだろうが(もっと一般的なものかもしれない)、教会のオルガンのような響きの、キーボードが弾かれ厳かな雰囲気の中、なおこさんの声がダビングされてかつエコーがかかって、なにか少年合唱団のように透明に響き渡る。その美しさと胸に迫る感じはなんともいえない。こんな雰囲気、本当にこれがパンクバンドなのだろうかと思う。まず日本のどのパンクバンドにもこんな透明な音作りは絶対にできない。それも曲や演奏のよさもあるけれど、今回は巧みなプロデュースワークにも目を見張る。

7月に発売されてからもう100回くらい聴いただろうか。最初にも言ったけれど、私のような少年ナイフ大好き人間だけでなく、本当に多くの音楽ラヴァーズに接して欲しい。真剣に音楽に向き合う人、音楽を心から愛する人、そういう人にこそ少年ナイフの音楽は心に訴えかけてくるはずだ。

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2007年6月15日 (金)

少年ナイフ インストアライブ アップルストア銀座(Apple Store Ginza) 2007年6月10日

少年ナイフのファンは幸せだ。このように小規模なホールで間近にアーティストの息吹を感じることができ、様々なライブの形態を通して少年ナイフの音楽の魅力に迫れるのだから。今回レポートするのは先日少年ナイフが銀座にあるApple Store Ginza(アップルの直営店)で行ったインストアライブ。

インストアライブといってもピンとこない方もいるかもしれない。その名の通りまさにショップ(店)の中で行うプロモーションを兼ねたライブ。レコードショップがやはり中心だと思うけれど、私はHMV,タワーレコードで少年ナイフが行ったインストアライブを見たことがある。昔に比べて音楽を楽しむ形態は本当に多様化された。そんな現在でもインストアライブというのはやはり貴重な体験だ。少年ナイフも例えば大規模フェスティバルにも出演するし、中規模、小規模のライブハウスでも演奏する。それだけなら普通のアーティストでも体験できることだけれども、テレビにいつも出演しているようなアーティストは小規模ライブハウスの体験をすることさえ難しい。少年ナイフは昨年大学が主催するお祭りに出演するという素晴らしい体験を提供してくれたが、このインストアというのも、店で通常の販売を平行しながらライブを行うという何とも言えない日常と非日常が混じって、独特の音楽の楽しみ方を享受できてうれしい。

さて日曜の夕方の銀座、まだまだ多くの人どおりで賑わっている。その中でもアップルストアはさすがというかかなりの人混み。入口にインストアライブの看板が立ててあって、「世界の少年ナイフ」という感じの紹介がされている。30分前についたらもう行列ができていた。インストアだから少年ナイフの熱狂的なファンばかりではない。なんかおもしろそうだから並んでみたいな人もいそう。行列を見て「あれは何が始まるんですか」と店員に聞いてる人も結構いた。いよいよ開演で3Fのホールというかスタジオに入る。これがびっくりのとてもきれいなシネマ単館ロードショーみたいなホール。しっかりした固定椅子が備え付けてあり、とにかくそこに気持ち良く座った。さてこのシネマホールみたいなスタジオもすでに満員。

少年ナイフがいよいよ登場。代表曲の「ロケットにのって」を演奏し始める。立て続けにこれまた私がもっとも好きな楽曲の一つである「Girl’s Rock」。リーダーでボーカルの直子さんはかなり緊張していたような感じであった。いつものようにライブの大熱狂状態で勢いに任せてギターを振りかざしてはじけて歌う、というよりは一つ一つのメロディーをきちんと追って丁寧に歌っていた。サウンドもバランスをとりながらアンサンブルを合せているようだった。それもそのはず、ナイフが奏でるパンキッシュなサウンドとこのホールの雰囲気の微妙な対比、クラシック音楽を聴いているような観客との距離、そして当日は撮影・録音がされており、後日I-Tunesでこのライブの模様が購入できるというある種のプレッシャー。

でもここからが少年ナイフの真骨頂。海外の大規模アリーナ、フェスへの出演、ニルヴァーナなどの世界的バンドとの共演、お祭りの出演、レコードストアでのライブ、ある意味百戦錬磨のパフォーマーで、芸人としてのセンスを持ちあわせたこのバンドはもうどんどん観客との距離を縮めて、熱狂の渦に巻き込んでいく。横の列にいた外国人の家族も一緒に歌っているし、席に座りながらも腰を浮かせてリズムを取ってる人もいる。我慢できなくなって手を振り上げて叫ぶ人も。それに合わせてギターの直子さん、サポートベースの方(ごめんなさい名前が分かりませんでした)もどんどんポーズをとったり、前にでてきたり、ギターを振りかざしたりしてお客のハートをつかんでいく。もう最後の方の「スパム」「ジャイアントキティ」になると、終始ナイフサイン(へヴィメタによくでてくるやつです)を出して手を振りあげる人でいっぱいになり、ナイフのグルーブも爆発していく。ドラムのえっちゃんこと悦子さんは素晴らしいテクニックとリズムでバンドのエンジンとなってそのグルーブの核を担い、ものすごい大きな拍手を受けていた。

小さいホールでファンを相手にしていれば盛り上がるよと思った人もいるかもしれないが、実際あの会場の雰囲気をコントロールしてお客と一緒にもりあがっていくというのは大変なことだと思う。なにしろこのホール、とても響きがクリアでバランスがいいのだけれど、これだけの満員状態での音のバランスを想定して設計していないのだろう、すごく響きがデットになっており(エコーがかからず、響きが短くスパッと切れてしまう状態)、音がクリア過ぎて、音の横のつながりが出にくい状態になっており、グルーブを表現するのがとても難しい環境だったからである。魅力的な楽曲とパフォーマンス、ナイフ本来のもつグルーブ感、そしてなにより多くの経験があってこそのインストアパフォーマンスなのである。

さて、私が一番感銘を受けたのは何と言っても7月に発売されるニューアルバムからの新曲。「Ramones Forever」はおそらく、世界の少年ナイフファンが聴きたいと思わせるような楽曲。たぶん新作発表とともに、いちばん人気のある楽曲になると思う。ラモーンズ、ロックへの限りない憧憬、そしてそれが今現在の私たちへ受け継がれていく喜び。そうしたものが王道の美しいナイフメロディーと歌詞によって展開されていく。初めて披露される曲なのに多くの人が「RamonesForever,! Punk RockForever!」とすでに一緒に歌っていた。

そしてもう一曲「重力無重力」。何人かのファンの意見を読んだりしたのだけれど皆こちらもいかにも少年ナイフらしい曲と受け取ったようだ。実際ポップで前向きで奇麗なメロディーと躍動するリズムが素晴らしい名曲だと思う。しかし私だけみたいなのだが、私は「いかにも」というより随分新しい少年ナイフの現在を見た気がする。「重力無重力」の歌詞をここで深く説明したりはしないけど、この歌詞の流れで言えば、少年ナイフの音楽とはいわば「重力に逆らいながら屹立する音楽」だったような気がする。すべてがすべてそうではないけれど。しかしここではまさに「重力に身を任せた」少年ナイフが聴けたのです。深く、優しく、包んでくれる、そんな新しいナイフがそこにあったような気がする。だからパンクポップの「パンク」という枕詞が要らない、美しく存在感のある「ポップ」の境地な気がする。とにかく私自身は100%支持してしまうし、新しいニューアルバムが本当に楽しみである。

さてライブもアンコールになり、熱狂のまま終わっていった。点灯して、スタッフの方が、終了のコメントを告げようとする。しかし鳴りやまない拍手、拍手。アンコールが始まってしまった。私も想定していなかったし、スタッフも想定していなかったようだ。本人たちも想定していなかったようで、照れながら舞台に戻ってきて挨拶。少年ナイフマジックはこの日も銀座に深く浸透したようで、その素晴らしさを再認識させられてしまった。

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2007年6月 3日 (日)

「リタ・リー / ボッサン・ビートルズ Rita Lee / Bossa’n Beatles

今年はボサノヴァを作った人の一人であるアントニオカルロスジョビンの生誕80周年ということで、夏に向けてボサノヴァが盛り上がるらしい(というかそういう風に仕掛けるのでしょう)。私はボサノヴァが大好きなので、盛り上がれば嬉しいのだが、最近確かに面白いボサノヴァCDをレコード屋で見かけるようになった。

一番笑ったのがセックスピストルズのロック史上傑作中の傑作である「勝手にしやがれ」の発売30周年を記念して出た「勝手にボッサ」。何を考えてんだかと思ったけど思わず視聴してしまいました。これが実によくできていて、ピストルズのみならずクラッシュなどパンクの名曲を見事にボサノヴァにアレンジし、反体制の象徴のような音楽を、カフェバーミュージックに変えてしまったのだから最高。ボサノヴァというスタイルはこれほどまでに強力であるし、レゲエに負けず、夏向け音楽としていろんな消費のされかたをされていくに違いない。

ユニバーサルミュージックの小冊子に面白いデータだのっていて、1990年の調査で「世界でもっとも演奏された曲」というランキングで1位から4位までビートルズが独占、そしてなんと5位にはアントニオカルロスジョビン作曲の「イパネマの娘」がランクインしたそうです。ストーンズでもボブマーレーでもモーツァルトでもなくてイパネマの娘というのが面白いですね。ビートルズは当たり前で、今これを書いている時点で、日本の東京だけで、ビートルズ専門のライブハウスが何件もあるので、納得できるけど、イパネマの娘も実はいたるところで演奏されてるんですね。まあ世紀の名曲だからこれまた当然でしょうが。

さてあまりにも長い引っ張りですが、今日紹介するにはビートルズをボサノヴァでカバーという、実に誰もが考えそうで、実際1000以上ありそうですが、このリタ・リー(本当はブラジル発音でヒタ・リーのようですが、レコードの表記にあわせます)のビートルズのカバー、ボサノヴァという枠を超えて、私が今まで聴いたビートルズのカバーで最も素晴らしいと思っている。

ビートルズのカバーというのが結構曲者で、このロック史上最高とも言えるグループは様々なアレンジとやりかたでカバーされてきたが、わざわざそのカバーを何度も聴きたいと思わせるものがなかなか無いような気がしている。よく年末とかにオノヨーコ主催のジョンレノンに関するイベントがあって、著名な日本のロックバンドがジョンやビートルズの曲をカバーしているが、どうもいまひとつぴんと来ない。みんなとっても愛情があって、熱のこもった演奏だと思うが、なかなかどうも長く聴いていたいと思う演奏に出会ったことが無い。

リタ・リーというアーティストはなにもボサノヴァ専門というわけでなく、ブラジルではロッククイーンとしてならしたアーティストのようです。大のビートルズファンだったらしく、このCDのジャケットにもリタ本人によるなんとも愛らしいビートルズの写生が載っている。そう考えると、リタ・リー本人の実力とビートルズへの愛情に加えて、やはりボサノヴァというスタイルが加わってこの奇跡的に美しいビートルズのカバーができたと考えるのがいいのかも。ボサノヴァ、やっぱり強力なスタイルである。

1曲目はハードデイズナイト、あの激しくポップの曲が、ここではユルユルの演奏で始まります。まだボサノヴァではなく、リタによるゆるいロックアレンジ。でも軽快で悪くない。ボサノヴァアルバムという固定観念で聴くとこの時点で挫折するので注意してください。このハードデイズナイトはいわゆるリタリーによる「挨拶」みたいなものです。「さあ、これから私のビートルズワールドが始まりますよ」という感じなので、気軽に聴きましょう。2曲目はサージェントペッパーから「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド」ここから一気にボサノヴァへと展開するのですが、もうこの時点で鳥肌もの。ビートルズのあの珠玉のメロディーはそのままに、美しいアコースティックギターと抑制されたボーカル、軽快なテンポなボサノヴァの世界とビートルズの世界があまりにも幸福に結びついている。ここからエレキスタイルの「抱きしめたい」まで、一気に7曲ボサノヴァビートルズが登場するのですが、すぐに気がつくのはあのビートルズのメロディをまったく崩さずに歌っているところ。

このカバー集があまりに美しく素晴らしいのは、あのビートルズのメロディーを全く崩さずそのまま再現しているところにあるから。メロディーが同じじゃつまらないじゃない、と思う方もいるかもしれませんが、あの黄金のメロディーを自分流に崩してカバーするのにはかなり無理があるのではと前から思っていた。同じ天才でもジミヘンのようにそのサウンドに革新性がある場合、メロディを自由にいじっても何の問題もないが、ビートルズははやりその魅力の半分以上はメロディーといってよいと思う。このメロディーを大切に再現したところにリタ・リーの洞察力の鋭さがある。そしてメロディーを何も変えずに再現してもまったく凡庸にならないところに、ボサノヴァというスタイルの強みがある。もちろんリタリーの抑制されたボーカルがボサノヴァスタイルとビートルズメロディー双方の本質を捉え、昇華させているからに他ならない。

「シーラヴズユー」「オールマイラヴィング」とおなじみの名曲が、淡淡と軽快に、そして透明感を湛えて生き生きと歌われていく。私は12才でビートルズに夢中になり自分の人生をすべて変えられてしまったのだけれど、その時の胸の中で沸き立つ感情を思い出してしまった。リタ・リーのファンはもちろん、ビートルズファン、そしてボサノヴァファン、誰にも大推薦の一枚です。ちなみに買うのならぜひ日本盤で。アマゾンでもHMVオンラインでも簡単に手に入ります(レコード店では売っていません)。日本盤はリタ・リーの写真がとてもポップでオシャレ、裏ジャケットも楽しみのボサノヴァ+ビートルズの実にいい雰囲気で飾っておきたいジャケットです。

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2007年3月26日 (月)

少年ナイフライブレビュー「WHAT A WONDERFUL R&R WORLD!」2007年3月24日 東京 Zher The ZOO YOYOGI

この日の少年ナイフのライブはもうなんといっても特別なものだった。オリジナルメンバーのベースの敦子さんが昨年の夏に結婚およびアメリカでの生活のため、少年ナイフを離れることになり、ここ半年以上にわたりゲストのベースプレーヤーを迎え、それはそれで最高の演奏を披露し続けた少年ナイフではあるが、この日は敦子さんが凱旋帰国、なんと少年ナイフのステージに立つというのである。

3ピースというスタイルを頑固に貫いてきた少年ナイフ、そのピースの1つがかけてしまうというのはバンドにとってどれだけ大きな影響をあたえることであろうか。それをまったく感じさせない不断の努力でステージを披露し続けてはきたものの(こういう努力や苦労をまったく見せないのも、らしいところである)、それでもオリジナルのメンバーの演奏が見られるとなるとファンとしては期待するなというのが無理というもの。それを裏付けるように、チケットはソールドアウト。会場に到着するともう、ナイフグッズを身に着けた人人人、ものすごい熱気である。

この「Zher The ZOO YOYOGI」ブッキング能力は素晴らしいと思うが、いかんせんハコのつくりはかなり無理がある。天井は低いし、奥行きもないため、横に広く、舞台の横袖はPAから音がダイレクトに届かないような感じ出し、おまけに見にくそうだ。でもJR代々木駅から1分もないという超一等地にライブハウスを作っただけでも拍手ものということでそこは我慢。その熱い熱気にまず最初に演奏したTHE NEATBEATSが華を添える。このバンド、ショーのタイトル通り、WHAT A WONDERFUL R&R WORLD!だ。もう楽しい、ウキウキのリズムで観客を楽しませる。余計な自意識一切なし。完璧なショーだと思う。すべてが終った後何人もの少年ナイフファンと話したけど、このTHE NEATBEATS、とても評判が良かった。

さていよいよ少年ナイフ登場ということで最高潮の盛り上がり。この時点ですでに息が苦しく、水分も足りない状態。健康に悪いから前にいないで途中で後ろのほうでゆっくり見ようと思っていたら最後には一番前のほうまで行ってしまった。私はこのブログで10回以上少年ナイフのライブをレビューしていると思う。そのたびにその音楽の持つ複雑な魅力を解明したいと思ってきた。雑誌などで時々ものすごい誤解をしている記事を見かけるけれども、少年ナイフは25年にわたってずっと同じことをやっているのではないし、パンクでポップ、単純明快、ユルユルで幸せみたいな一元的な明るいだけの音楽では決してない。これも何回も書いているのでしつこいですが、「少年」という面と「ナイフ」という面を合体させたのが、このバンドの魅力なのである。その深い魅力をオリジナルメンバーの敦子さんが加わることでとてもはっきり知ることができた。

敦子さんがボーカルを取る曲はどれもファンタジーあふれ、コーラスが美しい。私の隣にいた大阪からいらしたディープなファンの方が、敦子さんの曲がはじまると私の肩を組み、ゆらゆらと体を動かし気持ちよさそうにその世界に浸っていた。ある方はもう目に涙寸前でステージを眺めている。ゆるいとか明るいとかではなくて、もっと心の奥に深く浸透していく癒しのようなものに近いと思う。でもその曲は歌謡曲のバラードではなくて、きっちりグルーブのあるポップス。ベースもギターもドラムもエッジの鋭さを失っていない。ここに少年ナイフのバンドとしての深み、厚み、才気がある。

さて、曲がリーダーの直子さんのものになると、3人の演奏はますますグルーブ感をましてくる。冒頭の「メッシールーム」では飛び跳ねたり痙攣のように踊っていた観客が「スパム警告」になると今度は横揺れグルーブ。「クッキーデイ」ではスカダンスで「オレンジの太陽」では歌詞に聴き入るようにしている。そして全曲が大合唱。大合唱もサビの部分だけでなくて、曲を通して皆が歌っているから、直子さんの楽曲は優れているだけでなく、皆と一体化しているところが素晴らしい。ビートルズのプロデューサーのジョージマーティンがあらゆるところで「バンドはドラマーによって大きく左右される」といっているが、少年ナイフは若く才能のあるドラマーが、時にはパワフルに、時には歌メロディーを歌わせるように弾力的に叩き、ギターソロの時には曲がもたついたり、音が薄くならないよう絶妙のリズムキープで曲を演出したり、細かいアクセントをつけたりしている。こうして3人が一体となりメロディー、コーラス、演奏、楽曲、舞台でのパフォーマンス、舞台衣装とあらゆる点で少年ナイフといえる個性を発揮し、その奥の深い美しい世界ができあがるのである。

この日はその世界をもう存分に見せ付けたといっていいと思う。これまた別の大阪からいらしたファンが「これはもう桃源郷。まったく言葉にならない」と言っていた。私はこの日披露された、個人的に最も好きな楽曲である「Like a Salmon」でのイントロを聴いたとき、同じことを思っていた。少年ナイフがいてよかったと。

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