2010年8月24日 (火)

「The Velvet Underground & Nico」SACD-SHM 1967年作品 

ユニバーサルミュージックから、久しく途絶えていたSACDが復活となった。それも今までSACD化したことのないものなども含まれ、さらにビクターとの共同技術であるSHM仕様というパッケージで。

多くのSACDファンは諸手を挙げて、歓迎したことだろう。復活のきっかけはお客様からのたくさんの要望の電話だという。不況でかつ企業はなにより収益を求められる現在、このユニバーサルの姿勢は拍手ものだと思う。

さて、このSACD-SHMとにかく凄い。およそ今まで買ったCD/SACD系のパッケージメディアの中でも特筆すべき音。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、クラプトン、カラヤン、サラヴォーン、スティーリーダンの5点購入してどれも滑らか、ワイドレンジ、空気感・実在感たっぷりの優れものであった。なかでも永遠のロック名盤、ヴェルヴェットの1stがまさかSACDになるとは思わなかった。

今回の発売のSACDでもヴェルヴェット以外はいわゆるオーディオマニア御用達のようなものばかりで、皆すでにSACDを購入していた人も多かったではないだろうか。オーディオ好きでも2通りいて、いわゆる録音のいいソフトばかり聴いている人と、録音と関係なくいろいろなソースを聴く人といると思うけど、私はどちらかというと後者。もちろん名録音にこしたことはないし、素晴らしい録音がスタジオ作品の感動を何倍にもすることを重々承知している。ただそれでも録音が良いからといってスティーリーダンやピンクフロイドばっかり聴いていているのもなんだし、録音悪くてもヴェルヴェットのように絶対欠かせないアイテムだってある(クラシックはその点、多くが音が良いので問題ないけど)。

そう、録音が悪いと決め付けていたヴェルヴェット、LPもCDもCDリマスターも持っているけれど、まあ似たり寄ったりの出来だった。そこに突然降ってきたユニヴァーサルの企画、本当にヴェルヴェットでいいの?誰が買うのだろうなんて心配になってしまった(もちろん内容そのものは超一級だけど。人によってはロック全歴史でもベスト5に入れる人もいるでしょう)。SACD-SHMにしたからって、そんなに音が変わるもんでもないだろうにと油断していた。ところが上記5アイテムでも一番びっくりしたのがこれ。「なにこれ、ルーが、ジョンケイルが、ニコが本当にここにいるよ!」びっくりの生々しさなのである。

ベストトラックはライナーで大鷹さんが書いていらっしゃるとおり、「毛皮のヴィーナス」。これヴェルヴェット好きな人が聴いたら、椅子から転げ落ちると思うよ。もともとこの曲なんか音がチープでよくとばしていたのだけれど、エレクトリックヴィオラ、ギター、ドラムどれもあまりに強烈で退廃気分満喫。ルーの「千年でも眠っていられる、千の夢をみて目が覚める」というあの歌唱が心に迫りまりくる。

カッコイイ。これSACD-SHMという器も凄いのだろうけど、マスタリングを担当したタキグチさんという方も素晴らしい。しかしオリジナルテープにはこんな音が入っていたんだ。このアルバムが誕生して40年、日本という地でこの名盤は再誕生したといっていいだろう。

ここまでの仕事をやり遂げたなら、いっそ2ndも3rdも出せば良いのに。明日の25日いよいよSACD-SHMは第二弾が出る。今度はどんなびっくりが待ってるのだろうか?

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2006年11月 4日 (土)

「ダイアー・ストレイツ / ブラザーズ・イン・アームス Dire Straits / Brothers in Arms 20th Anniversary Edition 」 SACD 2005年再発20周年アニバーサリーエディション

ブログを3週間も放置してしまいました。すべてが凄いスピードで時間が経っていくネットの世界で3週間更新がないと誰も見てくれなくなりますが、まあ、じっくり付き合ってくださいませ。読んでいただいている方、感謝感激です。

さて今日はダイアーストレイツ。今年の新譜をもっと紹介したいのだけれど、あまりにもこのバンドに感動したので、またもや80年代ネタで行こうと思います。さて本日の話題「ブラザーズインアームス」ですが、85年の発表以来、全世界で2000万枚を超えるヒットを記録したそうだ。MTV全盛=日本での洋楽全盛時代ということもあり、これを聴いた方もとても多いことと思う。この作品を青春の大切な一コマとして胸にしまっている方もおられるのでは?

私はといえば、ちょうど高校生、毎日洋楽ロックを浴びるように聴きMTVもみていたので、当然この作品はリアルタイムで知っている。しかし残念でしょうがないのだけれど、知っているだけで聴いたことがなかった。もちろん大ヒットの「マネーフォーナッシング」はMTVでしょっちゅう見ていたけれど、アルバムとしてはふれることがなかった。当時私は洋楽少年とはいえ、UKアンダーグラウンドにかぶれており(スミス、ニューオーダーなど)、MTVミュージックが好きではなく、まったく聴かずに過ごしていたのだ。だから昔レビューしたスプリングスティーンの「ボーンインザUSA」なども当時は忌み嫌っており、30過ぎて初めてその素晴らしさに心打たれたといういきさつで、この「ブラザーズインアームス」もそんな感じで、最近聴いて初めて大感動するにいたったのだ。若い頃の一直線の自分も悪くはなかったけれど、こうして年をとって若い頃に見えなかったものが見えてくるのも素敵なことですね。

さて、そもそもこのアルバムを聴くきっかけとなったのはSACDの雑誌で。SACDの雑誌を見ていたら新譜情報にこの20周年記念盤の「ブラザーズインアームス」が載っていたので、何気なく買ってみただけ。SACDはほとんどロックの新譜はなく、まったくつかえないフォーマットなので、新譜がでるとそれほど興味がなくてもなんとなくチェックしてしまうのである。しかし今回はこれが最高に吉と出た。20周年盤といってもCDをすでに持っている人はほとんど購入する必要はないかもしれません。特別凄いブックレットが着いているわけでもないし、最高のライブがボーナスで付いているわけでもない。ただSACD対応になって、ジャケットがちょっと豪華になっただけ(デジパック仕様で、あのジャケットのギターのところが特別の加工がしてあり浮き出るようになっている)。ダイアーストレイツに関する私の知識は、とにかくギターのマークノップラーは凄いテクニックで、美しい音色を出すということ。だから聴く前はSACDでその美しい音色を堪能しようくらいのノリだった。

事前の知識どおり、ギターの音は最上級だし、テクニックも抜群。SACD効果もロックのものとしては最高峰で、空気感いっぱいでスタジオの空気そのものを運んでくれ、ギターやドラムがあたかも目の前で展開しているがごとくの実在感。ギターの音の美しさは筆舌にしがたい。ピッキングの一音一音が磨き抜かれ、真珠のごとく空気に放たれていく。でもあまりにも意外なことに私がもっとも好きなポイントは録音でもギターでもなかった。それはいくらなんでも天邪鬼的といわれそうだけれど、私はマークノップラーのボーカルが最高に気に入ってしまった。

マークのボーカルはイギリスの伝統の線にあるユニセックス的なもの(デヴィットボウイに代表される)というより、どちらかというとアメリカのボブディラン、ルーリードに影響を受けたような、つぶやきトーキング系のもの。低い声で実は美しいメロディーなのにそうは感じさせず、どこか崩し気味に歌いこむ感じ。たとえば1曲目のSo Far Away。これはルーリードの80年代の作品にとてもよく似ている。タイトなリズムにきれこみの鋭いギターそこにあまりに渋いボーカル。このボーカルがルーリードそっくりであまりにもカッコイイ。でもマークノップラーはとても歌が上手いので、ルーリード一辺倒ではなく、3曲目など今度はまるっきりブルーススプリングスティーン、その後はディランも登場。アメリカの最上級ロックのボーカルがマークを通して次々と現れてくる。でも全部を聴きとおすとやっぱりマークノップラーとしかいいようがない、変幻自在の歌。マネーフォーナッシングの軽妙なノリはこれらのロックレジェンド達にはできないポップな技。いやこれは凄い。もちろん9曲全曲駄曲なし。いいアルバムというのは最初の3曲がシングルカット向けみたいなものよりも、全曲を何度も聴きとおすことが出来て、アルバムとしての一貫性があるものが記憶に残っていくような気がする。2000万枚という数字が表すキャッチーさは実はさほどない。しかしそれだけの質の高さが20年たっても色褪せないという事なのだろう。

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2006年9月 2日 (土)

「モーツァルト フルート協奏曲集 / シャロン・ベザリー Sharon Bezaly」2005年 SACD

タワーレコードで1600円くらいで売っていたので手にとって見るとなんとSACD。もうほとんど先のないフォーマットに思えるSACDなので面白そうなものはなんでも買っておこうという感じだった。モーツァルトのCDなど百を超える名盤があり、いまさら新譜を買うほどの興味はほとんどないのだが、SACDということと、主人公のシャロンが抱えるフルートが妙に気になった。

解説を読んでみるとムラマツ製の特注24金フルートとの事。この24金のフルートとはどんな音がするのだろう、と興味深々で聴いてみた。ムラマツの24金フルートの写真から、名フルートの達人たち、つまりランパルやゴールディー達のふくよかでいかにも朗々と放たれるフルートの音を勝手に想像していた。SACDによる録音もそのふくよかな音にさぞ貢献しているのだろうと想像が膨らんでいた。

ところがところが。24金のフルートから普通の人がイメージする音とは対極な、存在感が薄い音が出てきたのでびっくりした。ええ、驚いていると作品一貫してこのトーンであった。金のフルートどころか、透明で吹いた瞬間から空気に溶け込んでしまい、あたりいったいにふわっとそよいでくるような主張のない気持ちのいい音。何回も聞くとほのかな艶も感じ取れるが、基本は音圧のない、朗々と響き渡りはせず、むしろ24金のフルートが空気を抑制して、そのふくよかな響きを失った分、逆に透明感とふわっとした空気感を得たかのよう。

もう一度帯びの解説を見てみると「シャロンご自慢のムラマツ製特注24金フルートが、得も言われぬ高貴な音をだしていてそれだけでウットリです」とある。なるほどシャロンを売り出そうとしたレコード会社も困ったのだろう。「得も言われぬ音」ってつまり表現できない音ってこと。そう、あまりにも過去の名フルートの達人の美音とは違うので、言葉が見当たらなかったのだろう。

24金のフルートはまったく自己主張しない。まさにシャロンと一体となって音楽を聴いている人のそばに自然によってきて、「ちょっと目を閉じて心を静かにして風の音を聴いてみませんか」と語りかけてくるようなフルートの音。気持ちいいことこの上ない。はてしなくリピートしたくなる。また朝でも夜でも食事中でもシーンを選ばない。集中しても聴き流してもいい。でも絶対いい音で聴きたい。SACDで聴くと自分もムラマツの金のフルートを所有して、毎日なでているような気分になる。

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2006年5月21日 (日)

「ローリングストーンズとSACD」 ストーンズのSACD化に寄せる思い

1998年にCDの上位企画としてSACDが誕生してから数年。一般にはまったく浸透せず、マニアの間ですらその是非が未だ論議されているという状態である。もともとのテクノロジーを開発したソニーやフィリップスなどは参加にレコード会社を持っているにもかかわらず、SACDをほとんど発売しない。音がどんなに良くてもそれだけでは消費者は見向きもしないのだろう。でもそういう商業的な観点からだけでは語れない素晴らしい面もある。

私はSACDが登場して以来もっとも成功したプロジェクトはローリングストーンズのSACDかではないかと思っている。というのもクラシックは未だグラモフォン、フィリップス、デッカなどから大物のアーティストのSACDかはごくごくわずかであるし、ジャズはマイルスという超大物がSACD化されているが、マイルスは元々とても音がいいのでSACDが出たからといって評価が変わるようなアーティストではない。ところがローリングストーンズ、ロック界最高の大物だけれど、ローリングストーンズ初期の作品の音がいいなんて誰も思っていなかったはずだ。あのロックの歴史に燦然と輝く傑作「レットイットブリード」などその作品の凄みとは裏腹に音に関してはむしろ悪いがゆえに迫力があるみたいな評価であった。

実際あるオーディオ雑誌でラジカセから高級ステレオまで4段階に応じて、レットイットブリードを聞き比べるという企画があった(レットイットブリード以外にもU2とかラブサイコデリコ、ディランが取り上げられていた)。そのときの評価はレットイットブリードはラジカセで聞いても音楽の表面しか分からないけど、3段階目くらいのオーディオで聴くとその真髄が味わえる、だけれども高級オーディオだとその音の悪さが目に付いてアラがでてしまうとの評価であった。ところがこれまたあるオーディオ雑誌で嶋護さんという評論化が「ローリングストーンズのレットイットブリードはロックの録音でも最も優れたもの」と評価していたのだ。アラが出てしまうような悪い録音と、ロック最優秀録音っていくらなんでも同じ作品の評価とは思えないくらい180度逆さま。いったいどっちが本当なんだ。

実は私は前者のアラが出てしまう派で、レットイットブリードはロックでもかなり音の悪い録音の1つと思っていた。ところが2002年にローリングストーンズの初期(英デッカ/ロンドン時代の作品)がSACD化されると、あまりの音のよさにぶっ飛んでしまった。特にレットイットブリード、嶋護さんの評価がいかに正しかったかが思い知らされた。いやこれはロックでも最高度に優秀な録音である。録音を手がけたのはグリンジョンズ。この人ストーンズの主要な作品を多数手がけ、そのほかにもフーの「フーズネクスト」、イーグルスのファースト、クラプトンの「スローハンド」など幾多の名作を手がけた達人。その達人の最高峰が「レットイットブリード」といわれていたのだけれど、SACDになって初めてその全貌が理解できた。レットイットブリードのみならず、ストーンズの作品は実にお金がかかっていい録音がされている。

SACDを聴いて誰もが感じ取れるのがブライアンジョーンズの多彩な楽器演奏の妙味の数々。マリンバ、シタール、ギターを初めとして楽器演奏の天才であったブライアンジョーンズの演奏が実に見事に再現できる。キースやミックの素晴らしい楽曲に自分でもなんとか貢献したかったのか、あるいは自分がリーダーであることをあくまでも演奏によって誇示したかったのか。今となっては分からないがその演奏の素晴らしさは確実にキース/ミックの楽曲に色を添えている。「アフターマス」に入っている「レディジェーン」でのハープシコードの美しさなどミック/キースの楽曲が「美と悪」は別々でなくあくまでも表裏一体なのだということを表現しているようにも思える。あと特筆すべきはエコー。CDとの一番の違いはこれかもしれない。本当に空間いっぱいにエコーが広がり、楽器やミックのボーカルの豊かさを提示してくれる。しかしなんでこんなにいい音で録音されていたのだろう。きっと当時のスタッフがスタジオでのストーンズを目の当たりにして、その可能性を十分に感じ取って、このバンドの作品をきちんと録音しておくことに重大な使命を感じたからなのだろう。あるいはそういったエンジニアにたいしてストーンズが最大の努力で答えたからなのだろう。

SACD化にあたって、あらためてオリジナルマスターを聴いたマスタリング担当エンジニアは思わず泣いてしまったそうです。それほど素晴らしい演奏と録音がマスターテープには残っていたということのよう。それを完璧に再現するためにアブコレコードはSACDというフォーマットを採用したのだという。今回ストーンズのSACD化を担当したアブコの副社長は「ステレオサウンド」誌145号のインタビューでこういっています。「今の若い人たちはMP3などで音楽が手軽になったこともあってきちんと音楽を聴かなくなっています。音楽を聴くこと、本当にいい音、というものを知らないでいると思うのです。私に言わせれば、彼らが聴いているのは音楽でなくて、ただのデータなんです。その意味で、音楽というものをきちんと知ってもらいたかったんです(SACDにより)。」もちろんこれはきちんと聴くに値する音楽あってのことですが、ストーンズのSACD化というのはまさに音楽文化に貢献するプロジェクトだったのかもしれない。

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2006年5月14日 (日)

「チープ・スリル/ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー」 1968年SACDレビュー

友人の中には、「音楽はライブが一番でCDを買ったりするのはほとんどない」というパターンが多い。私からするとなんとももったいないと思う。ライブとCDなどのスタジオ作品はまったく別ものであり、それぞれに楽しむものなのに。

CDはi-PODなどで適当に済ませ、とにかくライブに参加して音楽ライフをエンジョイする、これはこれでひとつの楽しみかただし、楽しければそれでよいとは思うけど。ただCDなどの録音メディアの楽しみ方というのはライブとはまったく別の楽しみ方を教えてくれる。そもそもCDだからといってアーティストがライブよりパフォーマンスが低いなどということはない。時にはライブの凄さをCDに表現できないアーティストもいるが、スタジオの方が得意というアーティストだっている。

あのビートルズだって、リボルバー以降はなんとライブをせず、スタジオに専念して、「サージェントペッパー」、「ホワイトアルバム」「アビーロード」のような大傑作を生み出した。CDなどの録音メディアの楽しみ方はまずなんと言っても、すでにこの世に存在しないアーティストがプレイバックできる点。私は数え切れないほどのライブを見てきたが、ビートルズやマイルスのCDやLP以上の感動を与えてくれたライブは10本もないと思う。

またCDの楽しみ方としてあたりまえだけれど、自分の好きな曲を好きな順番で、好きな音量で聞ける点。音量の問題は実はとても重要。最近立て続けにいくつかのライブを見たが、あまりの大音量で、とても楽しめる以前の問題であった。とはいっても最高のライブはやっぱりかけがえのないものなので、ライブもCDも同じように楽しめたほうが、音楽ライフとしては絶対お得ではないでしょうか。

録音メディアとしての楽しみ方を最近一番教えてくれたのがこのジャニスジョプリンのデビューアルバムのSACD。このSACDをかけると、ジャニスがこの世にいないというのがまったく信じられないほど、リアルにスピーカーの前に現れる。これはタイムマシーンか、あるいはある時代を完全真空パックして、SACDだと封印を解けるマジックなのかというほど、生々しく、感動的な作品だ。このアルバムを聴くのは20年ぶりで、LPで持っていた時は、ジャニスのしわがれ声となんだかもっさりしたバンドに演奏がだるくてあまり好きではなかったのだけれど、SACDというテクノロジーがジャニスとこの作品を完全に甦らせてしまった。

このSACDなんと、もともとこの作品を録音/ミックスしたエンジニアが、自らSACD制作に携わって完成させたらしい。よほどジャニスの歌声に惚れ込んでいたのだろう。ジャニスがこの世に新たに生を受けて、現代の私たちに向けて魂のシャウトを繰り広げるかのように見事に、パッケージングしている。もともとの録音もよほどよかったのだろう。60年代後半や70年代前半の作品の録音のよさは現代の最新作を超えている。機材は圧倒的に進化しているのに不思議だ。まあ機材とかの問題でなく才能のあるエンジニアが愛情を持って、丁寧にこのリマスターを手がけたからなのだろう。

このSACDを聴いていると、オーディオの楽しみの醍醐味をつくづく感じる。最高のライブを体験したのと何も変わらない感動が伝わってくる。

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2006年4月 2日 (日)

「カム・アウェイ・ウィズ・ミー/ノラ・ジョーンズ」2002年 SACDレビュー

ブログを見ていただいている方が最近聴いているのがノラ・ジョーンズとのコメントがあり、偶然私もこの1ヶ月ずっとノラ・ジョーンズを聴いていたのでこのマンモスヒットアルバムの魅力に迫ってみたい。

2002年に発売され、グラミー賞8部門受賞(史上2位だとのこと)、2003年の終わりには全世界で1500万枚の売り上げを達成し、近年最も成功したアルバムといえる。またジャズレーベル「ブルーノート」史上もっとも多く売れたアルバムとしても記憶が新しい。多くの評論家が、9・11以降のアメリカ人のメンタリティーが変化し、こういった内省的な音楽に癒しを求めるようになったと指摘している。それまでヒップポップ/ポワーポップ一辺倒だったのが、9・11事件、そしてこのノラジョーンズの登場で音楽シーンは徐々に変化を見せ始めたようだ。

一般論としてはよく理解できるし、アメリカの方の受けたショックの大きさ、それがまだ癒されないまま、こういったリラクゼーション的音楽に身を任せたいという気持ちも共感できる。しかしながらこの2006年の日本でノラジョーンズを聴くというのにはどういう魅力があるのだろうか。正直に言ってこういうすでに刷り込まれてしまったイメージ、そしていかにもの美人がそれ風に映っているジャケット、ビデオでのリラクゼーションな語り口が私にはどうしても馴染めなくて、今まで何故か聴く気を起こさせないでいた。癒し音楽とかリラクゼーション音楽とかそういった売り出しの音楽があまり得意でない。リラックスするとは静かで落ち着いたものというのは確かかもしれないが、私はかなりハードなしかし素晴らしいロックコンサートを体験した後での爽快感はなににもまして自分をリラックスさせてくれる。だからあらかじめカテゴライズされて、提示される音楽にあまり興味がもてないでいた。

だからノラジョーンズも勝手に「リラックスできるけどなんとなく体温が低くてオシャレな音楽」だろうと決め付けていた。しかしこのアルバムはそんな思惑からまったく違う方向に私を導いてくれた。一聴してだれでも理解できるのがノラの体温が高く、魂を揺さぶられるようなボーカル。これはリラックスはさせるけどオシャレではない。心の奥底から湧き上がってくるので、むしろソウルと呼べるようなもの。このかすれ声もあって私はジャニスジョプリンを思い浮かべたほど。かなりかすれ声がジャニスよりも綾戸智絵ではないかとの指摘をした人もいるけど、音楽はジャズとかソウルよりもポップミュージックの大衆性を持っている。確かに何年に一人の声の持ち主のような気もする。歌い方の落ち着きぶり、風格、品などは新人だと信じることが出来ない。デビューアルバムの初々しさというよりすでに1stにおいて音楽性が完成され完結されてしまったかのようなアーティスト。すでに声だけで魅了されてしまった。

でもこの作品はひとつの魅力だけでなく、複数の要因が重なって長く聴けるものになっているような気がする。このアルバムの場合、まずソングライティングも素晴らしい。私が好きな曲は「ドント・ノウ・ホワイ」と「ワン・フライト・ダウン」であるが、両方ともジェシーハリスの作曲によるもの。昔買ったジェシーのアルバムは地味でそんなに聴きこまなかったので、やっぱりノラとのコラボレーションが抜群なのだと思う。このジェシーだけでなくノラ自身またベースのリーアレキサンドラーも最高の曲を提出している。「ドント・ノウ・ホワイ」はそのメロディーの出来のよさに、私は一緒に思わず歌っている。珍しく歌詞を見て全部覚えてしまった。こんなこと久しぶりである。

そしてノラの声を支える演奏。これがまたタイトで緊張感がありながらも、美しく見通しがいい。ノラはここで仲間によるバンド演奏にこだわったということだが、このバンドアンサンブルは見事の一言。うまいという意味でなく息がピッタリという意味で。ノラのピアノもボーカルと遜色のない魅力を見せてくれる。ギターもアコースティックとエレキが絶妙に絡みあり、ピアノがその波の合間をくぐっていくようにクリスタルに響き渡る。

私はこの音楽で癒されたのだろうか。たぶん「イエス」だと思う。でもそれは当初言っていたような意味でなく、もっと心の奥底にいつのまにか入り込まれてぐっと持っていってしまわれたという感じ。天才とか傑作とか名作とかそういうのが似つかわしくない。静かに人の心を捉え時間が経っても何度も何度も繰り返し聴かれていくのだろう。

最後に録音とSACDについて。もういうまでもありません。録音に点数つけるなら99点です(1点は人の好みがあるので)。別にSACDである必要はないくらい、CDで十分素晴らしい。ただSACDだと更にノラのボーカルの真髄が堪能できます。ファンなら是非。でもこの作品は録音のことを言うのが野暮でしょう。

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2006年2月26日 (日)

「フィルモア・イースト・ライブ」オールマンブラザーズ・バンド 1971年SACDレビュー

講談社現代新書の中山康樹氏「ジャズ名盤入門」が滅法面白い。この本、ジャズの最高の入門書であると同時に、ジャンルを越えた「名盤」案内書だと思っている。「名盤」案内書って何、と誰も思われるでしょうがジャズに限らず10年、20年の時を経て未だに評価の高い音楽作品を「名盤」としてその楽しみ方を提示したものといえる。これは誰もが典型的に「名盤」と思い浮かぶものでないといけない。

ここで取り上げられているのは50枚。「ワルツフォーデビー」「カインドオブブルー」「至上の愛」などジャズを知る人なら誰でもが名盤と認めるようなものが並んでいる。ロックでいえば、「レットイットブリード」「サージェントペパーズ」「ブロンドオンブロンド」などとなるのだろう。この本では名盤の楽しみ方をもう一回再発見してみようという趣旨で、名盤のあらゆる楽しみ方が提示されている。いまさら名盤?とか、もう聴き飽きたよとか、現代に生きる私たちとしては名盤よりも「現在の新人」とかの方が重要じゃないの声に対し、「名盤とは、いつ、いかなる時代においても名盤であり、いかなる時代の耳にも通用するものでなければならない。そして事実、名盤として認知されているアルバムは、いつ、いかなる時に聴いても新たな感動を運んでくる」として、名盤がそんなに簡単に一個人の好みで風化させられるものではないという。

私はこの本に最近やたら影響を受け、名盤探求をして楽しんでいる。いやホント名盤を聴き直すのって最高に楽しい。もちろん若い人だったらそんな聴き方より現代に活躍するアーティストの現役の作品を聴いたほうが良いような気がする。でも30歳以降で仕事に忙しく、音楽のチェックする暇などほとんどないという忙しい世代の人にはとてもオススメな聴き方だ。私は名盤も最近のアーティストも両方楽しんでいるけども。

さてそこで本日は名盤探求ということで、オールマンブラザースバンドの「フィルモアイースト」を取り上げたい。この作品が名盤であるか否かは巷のロックガイドを見れば分かる。デュアンオールマンはエリッククラプトンに影響を与え、ここではその天空を駆け巡るギタープレイが聴けるなんて言葉がすぐに見つかるはず。実は私も20代の頃にこうしたロックガイドの影響でこの作品を手に取った。が、いかにも渋すぎた。パンクだのニルヴァーナだの言ってた耳には名盤というより過去の貴重な遺産にしか聴こえなかったのである。あるいはこれは日本人には理解できないディープなブルーズあるいはサザンロックであり、日本人にはだんだんと忘れ去られていくものでないかと思っていた。

あれから10年以上が経つが、このアルバム未だ名盤ガイドから消えていない。たしかにこれを今の10代、20代が買うかといったらまずないだろう。両世代足して1000枚も絶対売れていないと思う(違ったらゴメンなさい)。ただ最近もレガシーエディションだの、今回取り上げているSACDバージョンなどの新しいバージョンが出ているところをみると過去この作品を買った30代以上が再び買いなおしているようだ。さあ、聴いてみよう、本当にアメリカ人にしか分からないのか、20代の私がまだこれを受け入れる感性がなかったのか、中山氏のいうように名盤は時代を超えていつでも感動できるものなのか。デュアンオールマンは本当に天空を駆け巡ってくれるのか。

いかにも名盤だった。それも極上の。まず一番の誤解がサザンロックは土臭く、日本人にはとてもきけないのではという点。このライブの演奏、とにかく洗礼されているのだ。ギターソロはたしかに多いものの、不必要なフレーズはなく、あくまでもアンサンブルの中で展開され実に優雅。デュアンオールマンは確かに天性の繊細さで天空を駆け巡るものの、びっくりしたのが、ツインギターの相方、ディッキーベッツのギターもまったくデュアンに負けることなく、繊細なアンサンブルと優雅なギターを展開する。どうもブルーズとかサザンロックは「豪快」の一言で評価されがちだし、この作品もこのコテコテのジャケットからそう理解されているフシがある。しかしそれがまったくの誤解で、このギターアンサンブルは繊細だし、ギタートーンだって実に多様なニュアンスに富んだ芳醇な響きである。

またこのバンドの形態も実にプログレッシブ。ギター2本、ドラム2セット、ベース、オルガンという不思議な構成。90年代のキングクリムゾンが、ギターベースドラムそれぞれ2人ずつ配置して、ダブルトリオとか言っていたが、それに近いことをすでに70年代初頭にやっていたのだからびっくり。しかもプログレバンドでなくサザンロックが。ギター2本、ドラム2セットの効果は大きく、10分、20分という長い構成の曲をまったく飽きさせない。ボーカルも冒頭の曲だけは土臭いものの、曲を追うごとにバンドのアンサンブルに溶け込んだ熱いだけのものではなくなってくる。

発売当時2枚組みだったこのアルバム、SACDでも2枚組みである。そしてこの2枚目5分、13分、23分の3曲入り。だれもがたじろぐ長丁場であるが、これが短い曲よりもさらにアンサンブルの素晴らしさを堪能できる。とくに「エリザベスリードの思い出」はサザンロックというよりフュージョンといったほうが適切なくらいの洗礼された演奏。エッジもあるし優雅さもある。テクニックもあれば歌心もある。楽器そのものの音色も素晴らしければ、録音もそれを見事に捉えている。だからこれだけの長い作品なのに、聴き終わるとまた最初から聴きたくなってしまう。毎日どんな場面でもOK。なにしろ楽器の達人たちが、70年代の空気をいっぱい運んできて、いつでも艶やかに音楽を鳴らしてくれるのだから。「フィルモアイーストライブ」、すっかり名盤の魅力にやられてしまったが、50年後に私とまったく同じ感想を持つ人がきっといるに違いない。

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2006年2月25日 (土)

「Pshychic(シャイキック)」バッファロー・ドーター 2003年 SACDレビュー

日本のロックバンド、バッファロードーター2003年の作品(今のところ最新作、来月に新譜がでるらしい)、ミュージックマガジン誌のベストアルバム2003の日本ロック部門1位を見事に獲得し、何人かの評論家に世界のロックバンドと肩を並べる存在と評された今作、私もまったくそう思うし、日本ロックの傑作である。

バッファロードーターはギター、ターンテーブルにベースにオルガン、ムーグシンセをこなす3人組のロックバンド。ロックといってもテクノや80年代初頭のニューウェーブに強い影響を受け、今作の多くの曲がひたすらループしながら登り詰めていく構造のものが多く、テクノといってもおかしくないくらいエクスペリメンタルな要素を持つ。メロディーやお決まりのロックの約束から解き放たれとても新しい感じをもたらすロックだ。でもこういうテクノの要素を取り入れたロックも実はすでに世界ではたくさん出てきているし、一つのメロディーやリズムを繰り返す、高揚をもたらしていく手法もすでにあらゆるバンドで試されているものだ。だからこのバンドを新しいとか次世代とか評するのは当たっていない。それでも私は「新しい」と感じるし、「日本のロック」を超えて自然な表現力を見につけた稀有のバンドだと思う。

なによりうれしいのが、テクノ的手法を用いながらも、楽曲をドライブしていくのがギターサウンドであること。1つのリズムをひたすら繰り返すとき、テクノならシンセ、あるいはサンプリング、ファンクならベースとお決まりのスタイルがあるが、バッファロードーターはギターがぐいぐいと曲をひっぱりグルーブを作っていく。1曲目の「サイクリック」、ギターがジャンジャカ鳴らしながら次第にループ構造を作っていき、ムーグやオルガンとユニゾンしていきながら、どんどん高揚していくなんともダンサブルな曲であるが、いつも決めのところでギターが「ギュワーン」と鳴り響く辺り、ロックファンにはたまらなくうれしい。途中のギターとシンセのユニゾンかけあいは私なんかはディープパープルを思い出してしまうくらいロックフィーリングに溢れている。多くのバンドがこういう曲構造の時に、ほとんどシンセに頼り切ってしまいテクノの影響を脱しきれないのに対し、バッフォロードーターのアプローチはなんとも新鮮だし、ナチュラルだ。

こういうテクノっぽいアプローチで何より重要なのが、音楽に自由が感じられるかどうかだ。リズムやメロディーから自由であろうとするテクノが、ともすると逆にその自由にからめとられ、息苦しくなってしまい何度も聴きたくなくなるのに対し、バッファロードーターは気持ちがいいし、とても開放感を感じる。この開放感は自分がやりたいことをやっているということもあるかもしれないが、このループで登りつめていく高揚感を聞き手と共有していこうという姿勢がそうさせているような気がする。それは「今ぼくらは光の中へ、書き込みのない真っ白な世代」という歌詞にも現れている(実際には英語で歌われている)。バッファロードーターのリズムはこうした聞き手との共有の間に現れる自然なグルーブ感であり、時には高揚ゆえのパワー感だ。すばらしく良く作りこまれたSACDであるのに、何で聴いてもライブ録音のように今そこで音楽が生まれている感覚に溢れかえっている。そしてこのリズム感もサウンド、曲の構造もJ-ロックなどとJをつける必要がまったくない、「ロック」そのもの。だから洋楽のファン、アンダーワールドなどのテクノファンでも誰でも違和感なくレベルの高い音楽として聴ける。聴けるというより体が動いてしまって仕方がない。クラブでかけてもらって踊ったほうがよっぽどこの作品の接し方にはあっているのかもしれない。

この作品はロックには珍しいSACD仕様。サウンドにとことんこだわるバファロードーターの姿勢がSACDというフォーマットの選択につながった。本人たちのインタヴューがあったが、SACDとCDでは奥行感、そして実在感がまるで違うとのこと。具体的に言えばギターサウンド1つとってもCDだといかにもアンプを通してギターが録音されているというサウンドだが、SACDだとこういうサイズの部屋でギターを弾いている私が感じられるという。アーティスト本人からこういう発言があるというのがうれしい。まさにSACD冥利に尽きる作品。ぜひ一人でも多くの人に聞いて欲しい。いい音で。

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2006年1月29日 (日)

SACDレビュー「デヴィット・ボウイ」、「カーペンターズ」、「エイミーマン」

今日は最近よく聴いているSACDをまとめてショートレビューします。SACDなどというスーパーニッチマーケットですが、クラシックに注目すればそれなりに作品が出続けています。しかしポピュラーの現状は寒いなんてもんじゃない。音楽ファンであっても高品質サウンドファンはきわめて少数だということなのか。前回にも登場してもらったルーリードだが、なんでも過去の名作のリマスターにあたってレコード会社と「サウンドに金をかけてもいいか」と交渉したところ、「いいけどサウンドなんて誰も気にしないよ」とさびしい回答が返ってきたそうだ。レコード会社からしてこれなのだから、浸透するわけないなあ。SACDなんて書いても誰も興味持たないんだろうなあと思いつつも、高品質サウンドファンが増えることを願いつつ、しつこくレビューします。

「ヒーザン/デヴィットボウイ」

しかし2年前のボウイの日本武道館ライブはしっくりこなかった。客のほとんどはいかにも全盛期のボウイしか聞いていないような感じの方ばかり。まあそれはそれで良いのだけれど、常にプログレッシブで時代の鏡であろうとしてきたボウイのライブという雰囲気がしない。ボウイ自身もすでにプログレッシブであることをやめ、とにかく元気いっぱい楽しいコンサートといった感じのパフォーマンス。しかしそれならば先日のEW&Fのように徹底的にエンタテイメントであれば良いのだけれど、何故か皆が知らない、ポップでない時間の長い、ここ数年の曲をやたらに披露する。この間客は反応ほとんどなし。ジギーやレッツダンスの曲が始まるともう大歓声。私も正直言って「もうちょっとすっきりして欲しい」というのが感想であった。だからここ数年の作品はより印象が悪くなってしまった。

しかしこの「ヒーザン」、何故かSACDとして登場したので、あらためて聴いてみた。ええ、とってもいいじゃない。これひょっとして「スケアリーモンスターズ」以来の傑作じゃないの、と個人的に大いに盛り上がってしまった。なにしろ曲がいいし、それに絡むボウイのボーカルも珍しくストイックな低音と高音を行ったり来たりするまさに楽器のような天才的なパフォーマンス。それに決して派手でなく、けれども神経の細かいアレンジが行き届き、躍動感もある。ビックリしてクレジットをみてみると、なんとプロデューサーがあの「トニーヴィスコンティ」。こういうのを聴いてしまうと天才ボウイといえどもソロでやっていくためにはこういう確かなプロデューサーの存在というのはつくづく大事なのだなと思った。あの武道館でのライブもこうした傑作をつくり、自信があったからこそ「もうちょっと現在の私を少しは見て」という想いだったのかもしれない。ちなみに音質はもちろん最高です。最近のボウイにありがちなシンセサイザーの作りこみすぎみたいなことはなく、生楽器とシンセのバランスがよくとても繊細な音作りのため、とても映えるいいサウンドです。

「singles1969-1981/カーペンターズ」

正直に言ってこういう買い方はどうかと思うけど、音だけが聞きたくて買いました。カーペンターズはもちろん大好きだし、CDも持っているのでいまさらなのですが、このSACDもうあちらこちらで大絶賛であらゆるSACDで一番音がいいなんて評判だったし、とにかくオーディオ屋に行くと、客に買わせる為の必殺のディスクがどこもこれを使っていた。夜オーディオ買いに来てる人が、店員にこれをかけられるとみんな一斉に「いい音だなあ」とエビス顔になってしまうのである。私もおもいっきり影響をうけて、オーディオでなくこのSACDを買ってしまった。特別に感想はないのだが(昔聴き過ぎてしまったので)、笑ってしまうほど音がいい。現代で音のエンジニアやっている人はこれ聴いてどう思うのだろう。スタジオがいいのか、機材が良いのか、エンジニアの質が良いのか、カレンが上手すぎるから音も良くなったのかきっと全部なんだろう。

「バチュラーNo2/エイミーマン」

昨年も「フォゴットンアームズ」という傑作アルバムを発表したエイミーマン。これもとても手を凝らしたSACDが登場。エイミーマンは音楽性が広いわけではないがとても安定していいサウンドと落ち着いたメロディー、オシャレなボーカルでどの作品も高いクオリティで聴かせる。この「バチューラーNo2」もざっくりとしたエレキギター中心のシンプルなサウンドに時折オーケストラが絡むといった生っぽい音つくりである。エイミーマンのボーカルがとにかくいい。オシャレなのだけれど体温高め、決してクール一辺倒ではない。フィオナアップルじゃ緊迫感ありすぎる、エブリシングバットザガールじゃおしゃれすぎるという人にはとにかく最適。バンドサウンドに絡む低音ボイスがこちらに浸透して伝わってくる。こういう音楽こそいいサウンドで深夜流しっぱなしにして、自分の好きな雑誌、お酒でも共にしたら最高の時が過ごせるのでは?このSACD、サウンドがサウンドだけに決してダイナミックレンジが広い感じがないのだが、CDで聴いてしまうと縮こまって世界が小さくなってしまう感じ。SACDに戻すと上も下ものびのびし、エイミーの声も一層体温が高くなった感じ。SACDのマスタリングはこうして聴くととてもよく出来ているのが分かる。

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2006年1月 8日 (日)

「電気の武者/T・レックス」、「ブラーザース・イン・アームズ/ダイアー・ストレイツ」SACDレビュー×2 (音のいいディスク紹介)

このSACDによる「電気の武者」を聴いていると「作品」を聴いているのか「音」だけを聴いているのか分からなってくる。それくらいこのSACD化は素晴らしい。この作品はロック最高の遺産のひとつだし、T-REXは全作品もっているくらい好きだ。ただ聴き込んではいたのだけれど、自分の生涯の何枚に入るかというと何故かそこまではのめり込んでいなかったというのが正直なところ。ところがこのSACDでの再登場によってこの作品の聴き方ががらりと変わってしまった。

端的に言って、あまりにも音がいいから、ただ音を出しているだけでも気持ち良く、「ええ何この音すげええ」とか叫んでしまう聴き方になった。そしてそのことがこの作品を私の生涯の何枚かに押し上げてしまった。昔は「ゲット・イット・オン」、「コズミックダンサー」などの有名曲を楽しんでいたけれど、何故か音だけでいけてしまう。「プラネット・クイーン」での生々しいドラムサウンド!スピーカーが10倍くらい大きくなって、ドラムセットがそこに組まれているかのように立体的にダダダダダダダーンと鳴り響く。ちゃんと2本の腕がバラバラにビートを叩く大きさがそこに表現されている。「ガール」は中でも美しいサイケバラード。しかし曲の途中からフリューゲルホーンが厳かに鳴り響く。こんなホーンの音、昨年の新譜の中でも1つもなかったくらい「生音」っぽい。

SACDはこの「電気の武者」におけるマークボランの天才を理解させるだけでなく、この作品が多くの裏方のミュージシャン、エンジニアといったいとなったある種の「プロジェクト」だったことに光を当ててくれる。それは有名なプロデューサー/エンジニアであったトニーヴィスコンティだけでなく、フリューフェルホーンの立体的な管の響き、コルトレーンの影響を受けたかのようなイアンマクドナルドの咆哮するサックス、そしてなぜかソウルフルなストリングスアレンジにもいえる。この信じられないくらい豪華なスタジオでの演奏は確実にマークボランと対等に渡り合っている。そしてこの演奏が空気感たっぷりふくまれたスタジオの雰囲気とともに見事に録音されているのだ。SACDという規格はこのバックの演奏、エンジニアリングの凄さを完全にパッケージング化するのに役立っている。

このSACD化のためのリマスタリングはわざわざ当時のプロデューサー/エンジニアであったトニーヴィスコンティが自ら行っているのだから、優れた復刻になって当然ともいえる。しかし72年、音楽というのがまだまだ娯楽の中心であったことが良く分かる。スタジオにこれだけの凄腕のミュージシャンが何人も集まり、そして実際に演奏する。それをアナログ録音するために、最高のエンジニアがスタジオで時間をかけて腕を振るう。シンセサイザーでオーケストラを代替するわけでもなく、デジタル作業で演奏の間違いを修正するわけでもない。天才マークボランに惚れ込んだトニーヴィスコンティが夢のようなスタジオセッション/エンジニアを実現させ、ボランはそれに見合う永遠のロックナンバーを書いて歌った。これほどSACDにふさわしい作品はない。いい音で聴くことの快感と醍醐味がここにある。

さて話題は変わりダイアーストレイツ。これは80年代MTVの全盛の大ヒット作品だから聴いたことある人も多いと思う。これは20周年エディションということで気合の入ったSACD化。私も聴くのが実は20年ぶりなのでどんなものだと興味津々だったのだけれど、うーーん、これは記念エディションが謳っているようにマルチチャネルで聴いて楽しむ作品かもしれない。

内容自体はマークノップラーの声がとても深みがあって、ただのポップソングに終わらせていないし、独特の美音ギターもSACDで存分に発揮されている。ただSACDはスタジオの空気感をあまりにもリアルに再現するため、この当時の80年代特有の中途半端なシンセサイザーやデジタルディレイ(エコー)が多少耳障りで気になる。80年代のデジタル機材はまだ発展途中だったのか、おもいっきり機械っぽい音がしてこれがなんだか好みでない。ヒューマンな音を出そうとしてコントロールし切れていないもどかしさが感じられてしまう。まあこの辺りは個人的な好みだし、実際このSACD化は雑誌などで絶賛されていたりする。マルチで聴くとこういうのが気にならずもっと楽しいのかもしれない。たださすが20周年盤だけあってジャケットが美麗。そして実際そういうテクノロジーであっても当時としては満足のいく作品/録音だったのだろう。それをSACDとして復刻しようとする試みには大いに賛同します。

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